新井利民 ARAI Toshitami
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第7回 『ケアとは何か』第2章<小さな願い>と落ち着ける場所 後半
社会福祉には多職種なのでチームワークが必要という観点から考えた時にどのようなことが必要でどのような対応が求められるのか考えることができた
今回の授業でチームワークについて学び、「どんな患者さんであってもその人が望む生活を肯定する、その肯定の上でサポートする」という言葉がとても印象に残りました。「こんな夜更けにバナナかよ」の映画を見たことがあり、この言葉を聞くまでわがままな患者だと思っていたのが、肯定することや意見を聞くことの大切さを学びました
チームワークにおいて、聞き取りと想像力によって、それぞれベストだと思う環境の構築を試行錯誤しながら連携していきたいと思った。自分にとって安心する場所は家ですが利用者の方の耳に声をかたむけ、安心出来る環境に身をおけるようにしてあげたいと思いました。
"今回の授業を通して、なぜケアにはチームワークが必要で、チームワークにおいて大切にすべきことは何かを学ぶことができた。1つの職だけでは成り立たないケアを様々な職の人たちがチームになることでよりよい多職種連携につながり、そのチームワークの質の維持向上が、仕事の質の維持向上につながるためケアにはチームワークが必要。
チームワークにおいて大切にすべきことはどんな患者さんにもその人が望む生活を肯定し、肯定の上でサポートすることで、それがまさに本書にあるアドヒアランスという言葉の意味であって、こんな夜更けにバナナかよという映画でタバコを吸いたいという患者とそれを止めようとする援助側でアンビバレントがうまれてしまうが、できるだけその人が望むケアをするためにその人が望む生活を肯定するようなサポートをすることが大切だと知ることができた。
自分自身、こんな夜更けにバナナかよという映画はまだ前半しか見たことがないので、時間があるときに映画を見て、その人が望むケアのために周りの人がどういった援助をしていくのかを見て理解を深めていきたいと思った。"
ケアにおいてチームワークは必須であり利用者を含めたチームの中で情報や一人ひとりの価値観によるケアをしていくと利用者が心地よいケアを受けられるのではないかと考えました。
今日授業を聞いてみて、ケアには時間の連続性のためにチームワークが必要とわかりました。知らない言葉だらけで、柿人々を統合、訓練することによって秩序をコントロールしようとする権力のことを規律権力ということもわかりました。最後に動画を見てリアルに困ってる人のケアをしていて自分も困ってる人の手助けをしたいなと実感しました。介護には24時間世話が必要と知りまだまだ知らないことだらけだと思いました。ですが本を読み結構理解してきたと思いますが、この授業をと教えて色々知っていきたいです。
"ケアをチームワークでする必要性について、個々人の考えを聞き、理解を深めることが出来た。また、個人に対してどういったケアを行うことが最適なのか親族と情報共有など、連携しながら接して行くことが大切だと思った。"
"本を読んで知らない言葉がたくさん出てくるため、わからないながらに頑張って理解を深めようと努力しています。ケアにおいて連携、チームはなぜ大切なのか?色々な人と関わっていく中でその人の個性を形成していくので個人で関わるよりも、色々な人と関わっていく事が大切なんだと気付かされました。自分も良かれと思って特別支援の幼馴染のため勝手に手伝ったりしてしまったことがあります。本人からしたら自分でやりたかったりという感情があることもあります。お仕着せにならないためにはしっかりと本人に聞くことが大切とわかりました。"
自分にとって落ち着く場所を考えたとき、一番最初に家が思いつきました。私は家から大学までかなり遠く一人暮らしや祖母の家が蕨にあるためそこから通うことをすすめられたのですがやはり家にいたかったため家から通うことを決めました。家にいたいということは家が自分にとって一番落ち着く場所だからかなと改めて考えられてよかったです。
様々な職種の人たちが連携してケアしていることを知りました。私の母は訪問看護師で、ALS患者をケアしていると聞きました。母だけではなく、夜間は他の看護師さんがケアしているので、お互いに情報共有をして患者さんの落ち着く居場所をつくっているらしいです。病気の進行に影響するわけではないですが、患者の好きなテレビ番組をつけたり音楽をかけたりとしているみたいで、心の支えになったり手伝いをすることで居場所ができるのではないかと思いました。
"動画を見て、リアルタイムで困ったことや情報を共有することが大事なのだなと感じた。あとから相談するのではなくその時々のことを連携して活動することで社会福祉に繋がっているのだと思う。連携不足は事件事故の発生になりかねないし、命が関わってくるものなのでチームでしっかりと意見を出し合ってその人たち一人ひとりのために動けているのがすごいなと感じた。"
"「こんな夜更けにバナナかよ」は過去に見たことがあります。鹿野さんに対してボランティアの人たちが対等に向き合い、言いたいことはしっかりと伝えている姿が印象に残っています。また、自分だったらこんな風に対応できるのだろうか、なにをしてあげることができるのだろうか、と考えるきっかけにもなりました。
今回の授業から、ケアは1:1でも成立するかもしれないが、チームでケアすることで、負担軽減だけでなく、利用者の望んでいることを少しでも多く叶えてあげることができるのではないかと思いました。
そして、多職種連携があることで専門的な知識や情報を共有でき、様々な視点からケアができるので良い取り組みだなと感じました。"
今回の授業ではチームワークということについての内容でした。その中でケアにはチームワークが必要であり、チームワークにおいて何を大切にしていけば良いのかと言うことを本を読み、授業で確認することができました。チームワークにおいて、患者を尊重しつつ、健康に配慮することがケアの目標ということを共有し、生活を強制しないことがケアラーの役割ということが確認できました。
"チームワークは大切であり患者のニーズに合わせることも重要だが1番適した治療法などを他のチームと連携して考えることで安心して治療を行えると感じた。また、心のケアを考えた時落ち着く場所を探すことはとても大切であり気持ちを落ち着かせることが肝心だと改めて分かった。音楽療法などもその人に合わせながら使用するのも良いと感じた。"
チームワークは、常にリアルタイムで困ったことがあれば相談する。介護の方が24時間やってるのでその人の情報をもとに食事を変えたりすることが出来る。介護職だからこれは出来ないとかでも、出来ることは一所懸命やるようにしている事に感動した。
2つを同時に追究・追求することが専門家と知り、様々な領域を統合する努力が大切だと分かりました。自分の中で研究していきたい分野や今後生かせるなと感じた分野の勉強をいくつかしたいと思いました。色んな人との連携をする中で、「当事者の希望や自分にできるサポートの幅を広げて叶えられる」ことを目指していきたいです。
今回の授業で、落ち着ける場所はどこだろうと自分でも考えた結果、私は18年間家族と過ごしてきた家だと思いました。私にとって家は最後の動画でも言っていたようにケアが安楽な場所であります。本でも書いてあったような腑に落ちるかどうか動画の中でのケアの安楽は人それぞれ違うからケアも人それぞれ違うと思います。違うということは人によってケアが異なるのでその分ケアの対応が困難になっていくということでもあると思います。だからこそ、チームワークでケアを行うことで互いに補い円滑にケアが進むということが分かりました。
ケアは1人で利用者をケアするのではなく、複数のケアラーと連携したチームワークが重要になることがわかりました。また、先読みする想像力と声をかけるというふたつのことは必ずやっていかないと、パターナリズムを引き起こし利用者の安心した自由、落ち着ける居場所が損なわれるんだなと思いました。
ケアにおいてチームワークがとても重要なのだと感じました。ケアをする立場の人にとっては、医療のスタンダードを当てはめがちだし患者さんにとっては自分の願いが何も叶えられていないのだと気付かされました。どんなことでも本人に確認をとる事で小さな願いを叶えることができるし、肯定することにもなるからこそ私自身気をつけたいと思いました。できることできないことはあると思いますが、患者さんの言葉に耳を傾けることを大切にしたいと思いました。
"今回の講義でなぜチームワークが必要なのか考えた時、相手の立場に立って声をかけることで想像力を開いていくのだと学びました。また1人では考えられない意見や価値観があったりチーム事に異なる考え、対立する時もあったりなど全部を含めてケアにはチームワークが必要なのだと思いました。私にとって落ち着く場所は自分の家なので、少しでも利用者さんが落ち着くことができる場所、施設になっていければ良いと思いました。"
なぜチームワークが必要かというと一人一人考え方が違うからそのいい個性を捉えてみんなでいい意見を出して、連携するとが大切とわかった
ケアにおいてチームワークが大切なのはなんとなく人数が多ければいいぐらいに考えていたが、みんなの意見を聞きいてケアラーの個性を活かすためにとても大事ということに気づいた。ビデオをみて情報交換をすることにより連携を取れるというのがわかり良いケアをするにはチームワークは必須だなと感じた。
"今日の授業でチームワークは様々な人たちと協力することでケアの連続性が生まれるということが分かりました。それぞれのケアラーの個性・長所を活かして人ができない所をできる人が補うという形なのかなと思いました。こんな夜更けにばななかよという映画も今日の授業を踏まえた上で見てみたいなと思いました。"
"こんな夜更けにバナナかよという映画を見たことがあったのですが、支援者側の気持ちと支援されてる側の気持ち両方の意見に賛同できると思いました。また主人公である大泉洋さんの役は障がいを持ちながらも前向きに生きる強い人間が描かれていたのでとてもいい映画だと思いました。また、授業でもケアについて詳しく学びました。チームワークの重要性なども改めて学べたので良かったと思います。さらにこれから実習も始まってくるので、自分が良かれと思ってやったことが利用者の方にとってはそうでもなかったむしろマイナスだったとかあると思うので、相手のためにと思ってやりすぎないように程よい塩梅で頑張りたいと思いました。次回も頑張ります。"
本からだけの知識を蓄えるのではなく、そこに出てきた情報を調べて派生していくことで固定観念も減っていくのではないかと思った。偏った情報だけでなく、様々な情報を加味して考えていくことが重要であると思ったので、他の職種の方との交流から得られる情には価値があるなと思った。今回もそのような実習が開かれるという事だったので参加を考えたい。また、本の内容でもあったケアラーの個性。言い換えれば私はケアラーの特性だと思っているのですが、様々な人での連携によってケアが成り立っているのは人それぞれその特性があってこその補い合いなのではないかと感じた。
"小学校教諭のコースで学んでいます。そのため、教科の授業では否定的なことはあまり耳にしないのですが、他の講義の中で「学校」を良くないものとしての表現を耳にすることが多いのですが、例えば今日の講義内であった「同じ年度に生まれた人達を8:30-15:00までずっと同じ所に押し込む」も何が行けないのか分かりませんでした。私は学校生活がずっと楽しいことしか無かったと思えるタイプではなく、むしろ上手くいかないことの方が多かったので苦痛もわかります。しかし、「多様性」「個性」という言葉だけでは社会は上手く回らないため少しの我慢や多少理不尽なことを飲み込むことも必要なのではないかとまだ19年ですが学びました。 年齢の幅が広がるほど「当たり前」が違くなりストレスも増えると思います。 ただ生まれた年が一緒でたまたま住んでいる地域が近かっただけの人たちと狭い部屋に詰め込まれて我慢していくことも勉強だったなと感じているのでまだ自分自身の視野が狭いのかなとも思いました。 "
チームワーク、多種連携についてや連携を阻む壁についてや効果的なチームを作るためなど多くのことを学ぶことができました。
福祉分野に限らず多くの仕事にはチームワークは不可欠なんだなと理解できた。特に福祉はコミュニケーションなどをたくさん取らなきゃいけない場なので他の分野よりチームワークが大切だと思った。患者と一対一じゃ解決できないこともチームで取り組めば解決できるかもしれないと思い、チームワークは大切だとより思った。授業の最後に動画を見て多職種連携について理解できた。
"今回の準備でチームワークの大切さを学んだ。自分一人で決めるのではなく相手の話を聞きその中でどのようにしたらその人にとって最適なのか。また、職場内でも異なる意見があると思うが自己判断で決めないようにしたいと感じた。
""今日はテキストの82~のケアについて学習した。ケアには医療分野や福祉分野でのプロである専門職の力が必要で、さらにその行職種間での連携体制が必要になっていることを知った。しかし、養成課程や立場などの違いにより、多職種連携は困難が尽きないらしい。しかし、福祉の現場では達職種連携が求められているため、立正大学でも多職種連携教育を実施して多職種連携教育を行っていることを授業で習った。
高校で福祉を習っていた際も、医療や福祉分野での連携の大切さは教えられていたのだが、その理由についてさらにクリアにならうことができ、非常に興味深かった。コンボも家などで本を読みこみ福祉についての自分の考えを深めていきたい。"
"ソーシャルワーカーのケアについて、考えることが多い授業だった。チームワークをとることができればパフォーマンスの向上に直結する。では、ケアにおける連携とは?じぶんたちナリにしっかりと考えるテーマだと思う。今回紹介された題材は軽くあらすじを読んだが、まあ勝手な主人公だと思った。しかし、作中ではやりがいを感じでいたようだったから、これからの学びを通してケアラーの心情をもっと理解していこうと思う。"
糖尿病について若くても糖尿病になる人がいて、自己免疫疾患が原因で、インスリンの自己注射が必要だと分かった。バイト先で糖尿病になった同い年くらいの子がいて大変だと思う一方、過食や運動不足か原因なのでは勝手に思っていました。授業で正しいことを知り、病気の知識を知っておくことは、その人の気持ちや見方が変わると思いました。
"チームで連携を図ることは、利用者・患者のQOL向上や事件事故予防の他にも、チームの支援者同士、うまくできたことを共有することによって支援者のやりがいを獲得できることや、うまくできなかったことを共有することによって励ましを得られたり学習する機会が与えられることにより、支援者が1人ではないという実感をも得られることがある。チームでの話し合いなど連携をしっかり行える職場では、それなりに時間な個人の余裕があるとも受け止められる。"
"今回の授業では本の第二章の後半の内容を勉強しました。第二章では、チームワークについてと落ち着ける場所についてでした。今回の問いかけのケアにおけるチームワークが必要な理由は、様々な職種の人が集まり生活を支えるケアをするので連携が必要になるからだと思います。本を読んで良かれと思ったことをしてもお仕着せになるリスクがあることを知りました。これの回避法については本にあったように声掛けをして本人の声に耳を傾けることが大切だと思います。
第一章、二章を読んで、相手に寄り添い時には相手の手足になり願いを叶える。時にはチームで患者を支え、相手に寄り添う。そんなどこまでも患者のことを第一に考え、行動するそんな尊いものがケアでありそれを実行するのがケアラー。私はこの本に出てきたようなケアラーに憧れなりたいと思いました。
""今回の授業で糖尿病とアルコール依存症に注目しました。糖尿病は1型(インスリン依存型)と2型(インスリン非依存型)に分類されていてどちらも思い症状だと思いました。私が以前みたテレビでは糖尿病の為自分で注射を腕に刺す光景を見ました。とても衝撃で自分では無理だと思いました。次に、アルコール依存症についてアルコール依存症はいろんな講義でも取り上げられていてよく考える機会が増えました。アルコール依存症は女性も増えてきていてお酒に頼らなくては行けない状況に私は大変だと感じました。飲酒を行うと免疫が低下していくので私は飲酒したくないと思いました。"
良かれと思ったことをしても、お仕着せになるリスクがあるという文章を読んで、私はそれは本人の声を聴こうとしていないと感じた。ケアをしていく上で相手の声を聴いていくのは必要で、それが欠けてしまうと自分の感情の押し付けになってしまうと思った。1人で全てをこなそうとするのではなく、助け合いをしながらひとつの目標を達成させていくことが大切だと考えた。
看多機の仕組みについて、とても関心を持ちました。連携を取ることの効率性や質の良さがとても良いと感じました。
規律権力により、固定概念にとらわれて、自分を出せないという事が起こってしまうので、互いに試行錯誤して環境構築が必要でその中でチームワークが大切だとわかりました。自分も授業で間違えたらどうしようという考えを持ちがちでしたが、自分が考えたことを自分らしく表現していきたいなと思うようになりました。
チームワークでは他者の意見を聞いて、否定せず受け入れる姿勢をするのが良いチームへ繋げれるので、全てを否定しないことがキーワードであると思いました。
全員が同じ方向を向いて意見を出し合い楽しく関われることを意識してるとあり、患者さんを第一に考えてる様子が伝わりすごいな思った。
最後の動画を見て、福祉の現場での「チームワーク」は、持っている資格の問題でその人しかできないこともるけれど、看護師や、介護士など、様々な資格の人達が自分の専門的な知識や、観点を他の人と共有してケアをしていく、ということが分かりやすかったです。また、「チームワーク」がしっかりと機能するためには、言葉の違いなどを擦り合わせたりして誤解等を無くしていかなくてはならないのだな、と感じました。
チーム、チークワーク、多職種連携について学び、自分達もなんらかの連携の中で生きているのだとは思っていたが、何と連携しているのかを今まで深く考えてこなかったが、今回自分の中で考えるよい機会となった。
YouTubeを見て思ったのは、ケアマネージャーや看護師などのチームワークがとても大切だと思いました。また、お互いに利用者さんとその家族の人の意見をできる限り取り入れ、より良いものにしていきたいという気持ちが伝わりました。個人的に1番心に残ったのは介護者方が言っていた「否定から入らない」ということです。この意見は絶対にできないと決めつけないことで、これはこのようにしたら叶えられるのではないかと考えることができるのだと思いました。
チームワークを考える上での前提として、患者の生活を尊重しつつ健康の配慮をすることが目標であることを共有しなければならない事を学んだ。最後の映像を鑑賞してみて、介護士やケアマネージャー、看護師等、ケアには多職種の人々が関わっているが、どの人も連携を行いながら1つの方向に前向きになる姿勢が見られて素敵だと感じた。また、患者の個性を壊すことなく、聞き取りや創造力の連鎖を繰り返し、微調整を繰り返しながら具体化していく営みの重要性に改めて気づくことが出来てよかった。
授業を受けるたびにケアについて、細かいところまで知ることができたと感じています。前回の授業でも紹介されていたこんな夜更けにバナナかよは本と映画どちらも見たことがあります。実家に帰ったときに授業の内容をふまえて、改めて見たり読んだりしたいです。
社会福祉だけではなく、多くの職業に当てはまるのですが、連携が大事であり、そのためには患者・利用者のQOL向上、様々な資源の有効活用、援助者の「働きやすさ」の向上、事故や事件の予防が必要であることが分かりました。QOLは耳にするものの、あまりよく分かってなかったので今回の講義でしっかり理解することができ良かったです。みんなで協力して仕事を行い、事故や事件を発生させないようしていかなければならないと思いました。また、連携を阻む壁をなくすためにそれを自覚したり、勝手に憶測をしなかったりとその壁を乗り越える努力がいると考えました。講義の中で紹介された本を読み、知識をより深いものにしていきたいです。
"落ち着く場所とは、本人自身の身体や気持ちが落ち着き安まると感じられることが大切であり外からは決めることは出来ない。本人にとってしっくりくる場所が本当に落ち着く場所なのだと思う。また複数のケアラーでケアする為個人個人の捉え方によりずれが生じる場合もある。その時チームワークに大切なことは、粘り強く対話を重ね、また患者にもしっかり話をきき、その人が望むケアをしていくのが大切だと思う。"
小学生の頃に糖尿病になってしまった友達を思い出しました。一時期学校に来なくなり入院としかしらされておらず、何ヶ月かしたら元気に復帰してきたことを覚えています。そこで初めて糖尿病のつらさを知りました。血糖値に合わせてビスコを食べたりしてました。小学3年生か4年生くらいだったと思います。周りの男の子たちはいいなぁーお菓子食っててとか、言ってたのを今でも覚えています。今となっては糖尿病の大変さ食べるときに1度お腹にさしてから食べたいといけないとか一つ一つその子も苦労してたんだなと思い出しました。
"今回の授業で、ケアをする上でチームワークは様々な部分で必要なことであると感じた。例えば、利用者に最適なサービスをする時であったり、チームケアを行う時であったり、どの介護スタッフが行っても同じクオリティのサービスを提供する上でとても大切だと感じた。日頃からスタッフ間でのコミュニケーション、情報共有が大切であると思った。"
それぞれの職種の人達が集まることで、同じ方向を目指し、チームワークでケアを進めて行くことで、患者さんとどのように治療を進めたいかなど、なるべく患者さん本人の願いを叶えられる形で看護をしていくことがケアをするうえで大事なのだと感じました。
"今回は、チークワーク、多職種連携などが必要な理由、その連携を阻む壁、それを乗り越えるためのチームの形成プロセスを用いたチームの作り方や、糖尿病、インスリン、アルコール依存症などの病気の詳細などを学びました。思ったことは、2つあります。1つ目は、チームワークについてです。チームワークは、どんな職業でも必要ですが、社会福祉や教育分野は、専⾨職として資格制度があり、養成課程が異なるため、多職種連携が困難でした。しかし、福祉の現場では特に多職種連携が強く求められる上に、チーム内で考えや価値観がぶつかり合う仲間割れによる事故や事件が起きないためだけでなく、支援される側の人間である患者の生活を尊重するためにもなるということが他の職業とは違うことがわかったということです。2つ目は、願いについてです。まず、願いを叶えようとするケアラーは自分の思い込みで行動しがちで、声掛けや環境づくりで当事者が言葉にできるように粘り強く行動する必要があるということは、とても基本的なことですが大事だと思いました。一方、願いを持つ当事者は、たとえ、健康な人間でも、病気に苦しむ患者でも、叶えることはとても難しいということです。願いは、自分で努力して叶えなければ叶わないということや、助けが必要な場合は、他人に正直に伝え、わかってもらえるように努力し、謙虚な気持ちで手伝ってもらうということなどが必要であることがわかったということです。"
ケアにはチームワークが大切なことがわかった。患者とケアラー、そして家族みんなで協力して壁を乗り越えていくのが簡単だけど難しい。人には様々な面があり、患者1人に対し1人のケアラーではその面はほとんど引き出せないので、何人もの人が面を引き出し、みんなで共有することで初めて患者を知ることになるとわかった。ここで大切なのは患者に対し、先入観を持たず、尊重して向き合うことだと思う。
自立するということは、一人で物事を行うという意味だと思っていたが、依存先を増やしていくということも自立という意味のひとつだと学んだ。今回、授業で動画をみて看護職の方や介護職の方、ケアマネージャーなどがいて福祉分野の仕事はチームでできているんだと感じた。チームによってその人らしさが実現していくから大切だなと思った。
"人にとってどんな形であってもチームワークは欠かせないものだと思いました。学校でももちろん大事だけど、社会に出て働くとチームワークというものは今よりもっと大事にされていくと思います。自分はあまりリーダーシップが取れる方では無いからリーダーシップが取れる人を今まで尊敬していました。でも自分でもリーダーシップが取れるようにチームメンバーを理解することを心がけるのは大切だと思いました。私はこんな夜更けにバナナかよ という映画を見たことがあります。この映画をみて介護するのは簡単ではないと学びました。簡単では無い仕事なのでこれから一生懸命勉強していきたいと思いました。"
1つの専門職のみで支援するには知識や支援領域に限界があるため、多職種が連携して問題解決に向けて試行錯誤する「多職種連携」はとても重要だと思った。授業を受けるまで「多職種連携」の良い点はこれが1番であると思っていたが、「ヘルパーの多様性が利用者のその人らしさのなかに組み込まれる。ある人の個性というものが、関わる多数の個性を取り込んで実現する」(87p〜)この文を読んで利用者さんの固体化はヘルパーたちが声かけや想像力によって実践することで可能になること、ヘルパーの多様性がその人らしさを作ることにつながるという良い点もあると考える。看多機で広がる他職種連携の動画を視聴して、各自が情報を共有せず、自分の専門分野だけを担当してしまうと、認識のずれが起こったり、事故につながる可能性がある。自分の専門知識を共有したり、お互いに助け合う相互支援が行えるようなチームを作ることが必要であると感じた。そのようなチームを作るためにはステレオタイプや価値観、文化、理解の違いといった"壁"を確認し、チーム全体でどのように壁を乗り越えていくのかを考えていく必要があると感じた。
"私の祖母が四月に亡くなったことを思い出すような話でした。残念ながら病院がとても嫌いな方でしたのでちょくちょく家に帰りたいと言っていましたが家に戻っては病状の悪化の一途を辿ってまた病院に入院するの繰り返しでしたそのうちだんだんと衰弱していくのは誰の目にも明らかでした。最後は母に地元の病院で看取られましたが最後に祖母は何を思って逝ったのか改めて考えさせられる話でした。"
"今回は、チームケアについて学んだ。僕の祖母は去年亡くなった。その際祖母は緩和治療で在宅ケアになった。その際、訪問医師と訪問看護師さんたちがたくさん祖母の様子を見に来てくれた。医療をする医療者の反面、会話をたくさんしていた。そこからたくさんの情報を得て、治療をしてくれた。だが、一番祖母のケアに貢献していたのは、祖父と僕の母であった。母は介護士のためたくさんのケアを知っていて、祖母からの信頼は厚かった。衝突も多かったが、それを楽しんでいた母の印象がある。僕が驚いたのは祖父のケアだった。祖父は仕事人間であり、祖母のケアはしないだろうと考えていた。だが、洗濯物や掃除、いつでもそばに寄り添っていた。祖父は自分のできることがわかっていて、それを行なっていたと考える。その祖父の行動は祖母を驚かせて、祖母はいつもありがとうねと恥ずかしながら言っていた。そこから長期的なケアを行なっていた。祖父は祖母との時間を大切に過ごしていた。最期の時は祖母の隣で寝ていた。これからわかることはチームケアは医療者だけでなく、家族も大きな力を果たしていた。家族がチームケアに参加することによって、医療の知識を深めることとケアに家族がいることでリラックスすることができる。さらに、普段聞けないことが初めて聴こえると感じた。"
今回の講義(本)で印象に残ったことは、ケアラーは当事者の自分らしさや個性を援助する存在でありながら、同時に当事者の自分らしさや個性の一部にもなっている点です。このことで思い出したのが以前、講義の中で見たALSの方の動画です。息子さんがALSのお父さんを誉めた後、「嘘つけって思ったろ」と言った場面をみて、この言葉が実際にお父さんの自分らしさや個性を実現(代弁)しているかは分かりませんが、媒介となって当事者のその人らしさを実現するという一つのケアラーの役割について非常に実感することができました。
今日の授業で、私はチームワークで行っていくケアに興味を持ちました。本を読むまで、ケアや介護はケアラーや看護師の一方的な支援で、マニュアル通りに支援を行っているとばかり思っていました。相手の感情や声に耳を傾けず、ひたすら機械的に行っているのだと誤解していました。しかし、今回チームワークでのケアが当事者の支援において大切であることを知って、ケアの現場は声掛けや話し合いに溢れた場所なのだと初めて分かりました。ケアラーも様々な個性を持っているから、ケアラーごとに当事者が何を願っているのかということの感じ取り方は違う。そのとき、チームワークを活かして、当事者が思っていたかもしれないことをケアラーやチームの人々が共有することが、患者の生活を維持する連続したケアに繋がっていくのだと思いました。このようなケアを続けていくには、声掛けというのが何より大切になるのだと思いました。
今回の授業で連携することの大切さを学んだ。社会福祉に限らず何事にも連携することは大切だ。なぜ、連携することが大切なのか。理由は4つあり、1つ目は患者や利用者の生活の質向上のためだ。2つ目はさまざまな資源の有効活用。3つ目は援助者の働きやすさの向上。4つ目は事故、事件の予防があげられる。連携をしていく上で、価値観の違いや文化の違いですれ違う事もある。効果的なチームを作るための方法がいくつかあげられたが、最も大切だと感じたのは、メンバー間で相互の活動を評価し合えることだ。しかし、私自身、チームで活動をしていて相手の改善点を見つけたとしても少し言いづらいと感じてしまうことが多くある。少しでもチーム内での活動の評価を相手に伝えるためには、改善点を見つけてすぐに言うのでは無く、発言する時間を最後にもうけ、必ず相手の良い所、悪い所を発言していくことで強制力を持たせ、相互評価をしやすいのではないかと感じた。
"今回の授業で、ケアには利用者の今の生活の望みを肯定しサポートしていくことが重要なため他職種のケアラーと共同し、それぞれの個性を踏まえて本人の声を聞きながらケアをしていくことが重要だとわかりました。最後の動画で、家に帰りたいと希望しているから、家族にケアの方法を指導していくと言うところで、その人ではなく環境を変えていくということはこういうことなんだと感じました。さらに他職種であるからこその見方、関わり方ができて同じ方向を向きながらリアルタイムでずれを修正していくことができるためそれぞれのスキルが向上するというところで、自分の専門のところだけにいるのではなく他の分野も知っていくことで相手の小さな願いを叶えられることも多くなりケアの提案もより多く出すことができるので相手のケアをしているだけでなく自分自身のスキルの向上にもつながるので、大学のうちに他の分野を学んでいる人と交流して考えていかイベントに参加してみたいなと思いました。"
"ケアにはチームワークが必要か?というところで、一人一人が持つ短所または長所を複数のヘルパーたちで補い合いながらひとつのケアの連続性を作る。「ずれ」は多少なりとも残るがそれを互いに補正しながら進むからチームワークは必要だなと思いました。また、チームワークで大切にするところでどんな患者さんであってもその人の望むことを肯定する。そしてそれをサポートしていく信念が大切。個人的にはチームワークというところで、人と人同士の声がけも大切なのではないのか?と思いました。高校の部活の時にそう教わったため"
今回はチームワークやチームでのケアについて主に学んだが、ケアラーが複数人いると当たり前だけど複数通りのケアが存在してしまう。多様な視点から物事を捉えられるという利点があるが、その人に合ったケアが確立しないということもデメリットとして挙げられると自分は考えた。しかし、本書にあった通り、一つひとつ確認しながら作業を進めたり、時には先回りをして考えたり、ケアラーの工夫が垣間見えた。ただ、出会いの場を広げるだけでなく、当事者と相互の共通認識を持ち、相互に向き合った意志のベクトルをつくっていく必要があると感じた。
""やはり福祉における『連携』とは非常に大切なものであると感じた。携わっているものが違う以上意見の相違などがあると思うがそれを踏まえても連携して支援していくことが大切と感じた"
"今回の講義で、「連携」の大切さを改めて感じた。実際に、小学校・特別支援学校・福祉施設へ実習へ行った際、どこの現場でも「連携」を目の当たりにした。それぞれ役職のある職員さんたちが、お互いにコミュニケーションを取りながら、子どもたちのため、利用者さんたちのために動いていた。特に、特別支援学校では、子どもたちの行動を時間と共に随時メモしていた。また、朝の会では連絡帳に書かれた家での様子を担当の職員全員で確認していた。学校だけでなく、家庭ともコミュニケーションを取り続け、連携してケアを行うことが大切だと学んだ。
これまでの講義で、患者・利用者とケアラーのコミュニケーションを絶えず取り続けることでケアは成り立っていくことを学んだ。より良いケアを行うためには、ケアラー同士のコミュニケーション、連携が大切だと学んだ。"
QOL(quality of life)生活の質、ADL(activity of daily living)日常生活動作という言葉を知った。また、ケアラーは独りよがりなパターナリズムになる可能性があるため勝手に判断せずに本人に直接聞くことが大切であることを覚えておきたい。
色々な職種の人が助け合いながらケアについて向き合ってることに当たり前だとわかりつつもなんというかみんなで力を合わせればとても大きな力になるんだなと勝手に思った。
社会福祉分野に限らず、社会では仕事や、学校生活などほとんどの分野で「チームワーク」が求められていることを改めて知った。また、今まではチームワークは必要である、という漠然とした理解でしかなかったが、なぜチームワークが求められるのか、特に社会福祉分野でのケアをする上でチームワークが必要なのかを知ることが出来た。チームワークをとることで、援助者の「働きやすさ」の向上はもちろんのこと、状況に応じて、各メンバーがそれぞれ連携して行動することで、患者・利用者の事故や事件を未然に防ぐことに繋がるということが1番の理由だと感じた。そのため、逆も然りで、連携が上手く取れていないと、事件や事故が発生しやすくなり患者・利用者の命を奪ってしまう可能性があるということを理解して、責任をもって行動をしなければいけないのだと感じた。
どうしても支援をしていく中で利用者と医療者の間でのジレンマが生じてしまうため、より適切な支援をしてくために小さな希望を叶えられる支援体制を築いていかないとならないと思いました
福祉にとって情報の共有や配置などの団体的な行動は最も重要視される部分であるのではないかと考えました。
ケアを行うには多職種が連携するため、お互いが足りないものやかけているものを補い合いながら連続性をつくり、ズレが生じた場合はそれを修正しながらケアを営んでいくことが必要だと学びました。さらに、チームワークにおいて患者さんの生活を尊重しつつ健康面にも配慮し、肯定の上でサポートすることも必要だと思いました。時に、思い込みで行動してしまうとお仕着せになってしまう可能性があるので積極的に声かけをしながら本人の声に耳を傾けてニーズに沿って行くことが大切だと感じました。
ホスピスというものの存在を知って、病院に入院してするというのは、治すために行くものだと思っていたため、治らない病気のためにある病院があることに驚いた。治らない病気でも見捨てないで、望む最後に協力してくれるのは、人間の優しさを感じた。
"こんな夜更けにバナナかよを見ました。正直、物語の主人公の人柄は、賛否が分かれそうだなだと思いました。自分では出来ないことを、ボランティアに口うるさくワガママを言ってばかりの主人公と思う人も多いと感じました。そんな主人公の我儘を観ていくうちに、それが包み隠さない、素直な気持ちだということに共感出来ると、少しは見応えがあるのかなと思いました。主人公が言っていた、1日1日が勝負の中で、今の自分の気持ちに正直に生きるということ。当たり前のようで難しいことを、素直に伝えてくれるような生き様に考えさせられるものがありました。見る人によって思うところは色々分かれるのかなと思いました。"
"授業内で紹介された「こんな夜更けにバナナかよ」映画館で見ました。最初は、鹿野のわがままに振り回されていた医大生ボラの田中は、他のボラの方々に支えられながら、鹿野の特性を理解して行くことが出来ようになっていった。医療的ケアのチームワークにおいて、患者の特性を理解することが大切だということがこの映画をみて読み取れた。また、田中や美咲は鹿野の生き様や、性格に影響を受けて夢を見つけていく。難病を抱えていても、人に与える影響力は私たちより大きいと感じた。"
連携の重要さや、円滑に進むためにはなどどシステムや阻まる壁などについて学べた。私の知り合いが糖尿病になったらしいので今回のスライドで出てきて親近感があった。
"今回の授業では、複数人での「連携」や「チームワーク」について図書の内容をもとにその意義について理解を深めることが出来た。他の授業や自分の実体験から気づいていたことであったが、単一の専門分野、だれか一人だけの判断基準では、支援対象者の状態や障害についての知識などに限界があり、より適した対応を取るために複数人で、さらには別々の分野の専門家が連携することが必要であるということが分かった。また、今回授業で取り上げられた教科書内の範囲の中で、ケアラーの個性も大切にすべきという内容があった。要支援者や患者への対応の仕方やそのための連携について考えることが多かったが、ケアラー同士の中で配慮すべき点を挙げているような記事を見ることは少なかったと思う。"
先生がステレオタイプの話で大学の女の子たちが社福学科ってチャラそうという話をした時、もちろん、そういう人もいると思うが、チャラい人ばかりではないという話で思い込み、偏見があると話していて、自分も髪が派手髪の人はチャラそうなど偏見を持っていたので、まずは話しかけたりして決めていきたいと思った。効果的なチームを作るためには、たくさんの人達が自分の長所を活かして、短所な部分は他の人達が補いながら、ひとつのケアを作っているのは、とても凄いし、患者のために、考えていることがわかった。
今回は、ケアにおいてのチームワークの重要性について学んだ。チームであることのメリットは、クライエントを継続的に見るとことができる、色々な経験、知識が集まるので、そのクライエントに対するケアの幅が広がるなど多くの事があることが理解できた。しかし、チームであることで難しくなることがある場面もあると思う。お互い違う職種で気を遣う事のストレスだったり、自分の考え方で自由にケアが出来なかったり、自分の職種の方針とはズレたケアになってしまったりと、何事もスムーズに行くわけではない。人に意見されたことをしっかり受け入れながら聞いて、それがクライエントにとってどうなのか、色々な視点からディスカッションしていくのが、この仕事で基本になっていく。人に意見されて、すぐムカついてしまう人、聞き入れない人はこの職種は向いてないのかなと思った。
" 糖尿病は昔と比べてジャンクフードなど糖や脂、塩分の濃いものを食べる機会が増えたためなる人は増えたと思う。去年行った実習先でもカロリーが高い物は控えさせるように指摘されていた利用者さんがいた。 今の社会の食生活は糖尿病などの生活習慣病に影響しやすいが、それを防ぐためのサプリや調理の工夫があるのでそういったものを支援に組み込むのもありなのかと考えた。"
"今回の授業で、ケアをするためにはチームワークが必要だということを学びました。チームワークが必要な理由として、患者もケアをするにあたってのチームメンバーの一員でああることから、患者との対話を繰り返し行い、患者は支援者からの支援を受けやすいように取りはからうことだと感じました。支援は、支援者たちだけで行うものではなく、患者ありきで行うものであるということを改めて自覚させられました。もちろん、患者の状態や特性を、患者の様子や会話から考えて、必要なニーズを発見し、支援する事は大切です。しかし、患者のことをよく理解し考えているからといって、支援者のみで支援の方向性を決めるのではなく、患者を含めて患者の意思を尊重しながら、支援の方向を決めていく必要があると感じました。"
今回の講義で、特に重要だと思う点は、チームで患者さんに接すること。病院や特別養護老人ホームなどで生活している患者さんは支援している人々とのコミュニケーションが必然的に多くなる。患者さんとその家族と支援する人々(職種ごと)の最終的な目的が違うと、誰もが満足した結果にならないと思う。そこで、患者さんとその家族が何をしたいかをしっかり聞き、支援方法を沢山の人々と練ることが大切。しかし、多職種連携とはいえ人数が限られているので、やれないこともあると伝えることも必要。
チームワークの重要性と効果的なチームを作るために必要なことが分かりました。規律権力的な健康政策においてもので人を動かすのではなく(強制的に)自分自身が権力によって都合よく動かすことのできる能力がとても重要な意味を持つことを知り、身につけたい能力だと思いました。また、私がチームワークにおいて大切にしていることは人との関わりの上でのコミュニケーションだと常に思っています。コミュニケーションをとることで自分の意見を理解してもらうだけでなく相手の考えを聞き情報を共有してチームワークを上げていくことでこれまで以上に円滑に進んでいくと思いました。
今回の授業でケアにはチームワークが必要ということを学びました。ケアには利用者を含め様々な専門職の人また、同じ専門職でも複数の人が関わっていますがすべての人が同時にケアの現場にいるということはありません。そして、ケアに関わる人の癖などによりケアの状態が毎回同じ状態であるとも限りません。ケアに関わる人は自分がいなかった時のケア・現在のケア・交代後に行うケアを共有することでケアに連続性が生まれるのだと感じました。
チームワークにおいて大切にすべき事はケアラーの役割は患者にガチガチに医療スタンダード当てはめて生活を強制するのではなくて患者の生活を尊重しつつ健康に配慮する事が大事であり相手のしたい要望などをきちんと環境や状況を整えてあげる事があるが必要だと感じた。
今回の授業でケアにおいてチームワークが重要であることを学べました。私は今までケアはケアを受けるクライエントとケアラーの1対1で成り立つものであると考えていました。しかし「ケアとは何か」を呼んでそれぞれの特徴、長所を持つ複数のヘルパーが補い合いながらひとつのケアの連続性を作るためにチームワークは必要だという新たな知識を得ることが出来て良かったです
"チームの連携は社会福祉に限らず、職種問わず、大切なことであることは知っていた。ただそのチームを上手く運用、形成していくための段階(形成プロセス)や必要なスキルを磨き、効果的なチームを形成するプロセスを知ることができた。連携が必要とされる場面で、事故や事件を引き起こさないためにも、大学のグループワークや個人間でも相互作用を意識して取り組みたい。"
"今回、チームワークやケアラーの連携について学習しましたが、必要に応じて他のメンバーの活動をフォローできるチーム 特定のメンバーへの仕事の過重な負荷や、困難な状況があった場合には、相互支援。メンバーからの情報を受け入れることのできるチームでの活動において摩擦などが発生しストレスが高くなった場合でも、他メンバーからの情報を受け入れ、チームの活動 本位に考える。というのはゼミのグループワークにも活かせるのかなと思いました。チームやグループでの活動をする上で経験上、同じ程度の負担が平等にかかっている方が空気や雰囲気的に活動しやすいのかなと思っています。過度な負担は絶対にNGですが、ある程度互いに仕事があった方がいいと思います。ケアをする上でのチームワークはかなり心身的なストレスが考えられると思います。自分だけじゃない、という考えでこなすことも大切だと考えました。"
"アルコール依存症の話が強く印象に残りました。私には両親の離婚後一度も会わずに死別した父がいたのですが、周囲に何度停められてもお酒をやめず、膵炎を引き起こしても病院にお酒を持ち込むことなどしょっちゅうでした。当時の私はまだ幼く、父にいい思い出がなかったこともあり、それが悪いことだという認識しかなかったのですが、今思えばあれもアルコール依存症であり、アプローチの仕方もあったのではないかと思います。"
第6回 『ケアとは何か』第2章<小さな願い>と落ち着ける場所 前半
"今日の講義を受けて1月に亡くなった祖父を思い出した。肺がんであったが自宅で生活していた。去年、祖父が友だちと北海道に旅行をしに行った。病状は進行しており、息をするのがつらそうだったり、咳が出てしまうことが多かったからとても心配していたし、もし旅先で亡くなったら・・・と思うと涙が出たが、無事帰ってきて空港に迎えに行った時、祖父の楽しそうな姿を見れてとても良かった、と思えた。亡くなった後も、あの時旅行に行けてよかったね、と心底思う。祖父の場合、病状だけを見ていたら旅行は反対していたと思う。しかし、これが最後の旅行になるかも、と思ったらあまり心配は表に出さず、精一杯楽しんできてほしい、と思った。祖父の場合、亡くなる1週間前までは自宅にいた。(亡くなる直前はホスピスにいた)
不安を抱えながらも、夜中に蕎麦を食べたり、飛行機で旅行をしたり、ギターを弾きながら歌を歌ったりすることができたのは自宅にいたからなのか。もし、病院に入院せざるを得ない状況になっても小さな願いは叶えられて欲しいと思う。
病院ではケアと医療が乖離するとあったが、自分らしく生きることと、治療などによって自分が保たれることどちらを優先すべきなのか。両方とも重視されるべきだと思うが、私だったら痛みなどがあればそれは緩和してほしいし完治の可能性があるなら治療を求めるが、そうではない場合、例えば末期がんなどであれば、自分のやりたいことをやる、ことを優先するだろう。やりたいことができない、ということは生きる活力を奪う、と思うから。
"今回の講義は、本の続きの内容理解を行なった。主に、今回は人生会議について学んだ。あの批判のあったポスターを最初に見た時、正直あまり批判のあった理由が分からなかった。そして、理由を見た後もよく分からなかった。その境遇に立ち会っている人にしか分からないこともあるかもしれないが、そんなポスター1つに、自分の家族について振り回されるなよと正直感じてしまった。そのポスターを厚生労働省が作ったのが問題って言われればそれまでだが、自分たちの家族ぐらい自分たちで決めろよって思うし、そんなわざわざ批判することかなとも思う。
また、ケアと医療の乖離についても学んだ。とても難しいことだと思うが、当事者はどうしたいか、という願いを言葉だけではなく、表情、行動からも読み取ることが大事なのかなと思った。一人の人間として、その人らしさを守りつつケアと医療のバランスを組み立てて行けたらその人にとって良い人生になると思った。
"今回は、厚生労働省の組織、各部局(医政局、健康局、医薬・生活衛生局、労働基準局、職業安定局、雇用環境・均等局、社会・援護局、老健局、保険局、年金局)、人材開発統括官や政策統括官などについて学びました。また、透析治療・人工透析、胃ろう、嚥下、誤嚥、誤嚥性肺炎、褥瘡(床ずれ)、髄膜炎、高次脳機能障害など、人間の頭や上半身に関わる病気や、人生会議、終末期医療などにおける「自己決定」、「選択」、「意思決定」、「患者の願い」などがなぜ必要なのかなどについて学びました。
思ったことは、2つあります。1つ目は、上記の病気には、普通に治療すれば治るものと治らないものがありますが、特に脳による病気については、治療すれば問題ないと思っていたのですが、調べてみるとそうでもないということに驚きました。2つ目は、人生会議のポスターへの批判についてです。このポスターは、「自分は死ぬとは思ってない人が考えたポスターではないでしょうか」、「ACPは必要だが、その内容を誤解させかねないし、脅しとも取れる内容で啓発として有効か疑問だ。関心がない人たちに刺さることを優先し過ぎて、当事者への配慮を欠いている」などといった批判がありますが、私としては、別にそこまで批判しなくてもいいのではないかと考えています。
その理由は、2つあります。1つ目は、確かに私も当事者への配慮を少し欠いていると思いました。しかし、それはあくまでも、人生会議が必要な人だけでなく、健康な人でも見てくれるポスターですし、分かりやすく表しています。関心がない人たちにが多いため、「あ、自分もそうなるかもしれない」と考えるようになる人を増やすことにつながると思ったからです。効果が大きければ、多少のマイナスはしょうがないと思いました。2つ目は、人生会議は必要だとわかっていても、人生会議をやらずに後悔している人も多いのに、患者を気遣い遠慮してできない人も多いから、こういうポスターがあれば遠慮を減らし、きっかけをつくることになると思いました。結局、困るのは自分たちや社会全体だと思いました。"
患者の意思を聞くという事は医者や看護してる側からしたら、している気になりがちなのではないかと考えた。病院や私たちは良かれと思ってやっている事も実は逆効果だったりと、患者とコミュニケーションをとる事も医療の一つであり、患者を治す方法だと忘れないでいたい。
医療的判断とどんなことに注目してケアをすることが大切か、文化的なこととも関連づけてしっかり考えられた。「皆さんへの問いかけ」で自分とは違う考えをもった人がたくさんいてより多く、さまざまな視点を持つことができた。わからない単語はしっかり調べておきたい。
選択肢を示すのではなく話し合ってケアすることが大切だと分かった。患者の望みに合わせるだけだと悪化していくので専門家の考えも受け入れてもらう必要があると感じた。また、その人が活躍できるように確保することも社会福祉の役割だと知れた。寄り添うことは大切だけど患者のニーズに合わせるだけではその人のためにならないことが理解できた。
自分がよかれと思って行っていたケアが、ケアを受けている方にとってはかえって逆効果になってしまうということが、気をつけなければならないと思いました。
医療とケアが乖離するケースで、食事制限のある中で、ルール優先も大切だが、患者の気持ちを考え、本人にも聞き、願いを探り出す行動はとても印象に残った
今回の授業で印象的だってのは、ゆうこちゃんのプリンの話で本人は食べたいが医療的には食べさせることは良くないとされていた。そのことで長生きしてほしいお母さんは元気になったらねと誤魔化していたが、ゆうこちゃんが亡くなってしまう時にはあの時食べさせてあげればよかったなどの罪悪感が生まれていたのを知り、とても難しい判断だと思った。
文化的願いを叶えるためにケアラーは自分らしさの1部を維持させてあげることでその人の快適さをアシストしてあげてることがわかった
人生会議とは何かを決めることではなくて、とにかく沢山話すということが分かりました。オレンジケアホームクリニックもとても良い取り組みだと思ったので今度も色々と調べていきたいと思いました。
人生会議をすることはとても大切なことだと感じた。あのポスターは目に入るという意味ではいいものだと感じたけどやはり表情や文面などから煽るような形が見られるから批判が起きたのだなと感じた。
終末期医療などにおける自己決定、選択、患者の願いなど後悔のないようにするためにも家族で話し合うことはとても重要なことであると思いました。ケアは満足することが大切であり、それを支えることがケアであることもよくわかりました。また環境調剤を行うケアというものも大切であり、当事者がもつであろう願いを探り出すということ。
"自分の意思を伝えることのできない程に症状が進行してしまった患者さんに、何ができるのか。とても考えさせられた。もはや手遅れになる可能性もある。そして、その前に彼等にケアラーは何ができるのか。彼等の望む最善を考えて尽くす。それができるように学びを深め、相手を『みる』力を養っていきたい"
今日は、死について考えました。途中話を聞いて泣きそうになりましたが、ちゃんと授業を聞いて、人生会議は大切で人の力になれるとわかりました。人は、死と向き合うだけではなくそれ以外のことも考えて生活するのが大切だとわかりました。
食べ物の願いで親子の関係が再編成したことに感心した。
医療とケアで患者への対応が難しい時もあるけど、患者の意思を第1に考えられるようにしたい。患者の小さな願いをくみ取れるように努力していきたいです
今回の講義では、ケアと医療が乖離してしまうというのが印象的でした。医者からしたら、衛生面や嚥下などの心配からできないことも多いが、ケアという面からみたら患者さんの小さな願いも大事にすることが重要なのだと思いました。「こうだからこれはだめ」という決めつけるのは間違えないようにしたいです。
"厚生労働省の仕組みについて詳しく知れました。厚生労働省の内部部局についても詳しく学べたのでよかったです。また、人生会議の動画も見ました。みんなで話し合って決めていくのはとても素敵なことだと思いました。次回も頑張ります。"
省庁について知らない事が多かったので将来使える知識が増えて良かった。
"最初に、三権分立について思い出すことが出来ませんでした。中高で学んできているはずなのですがいつになっても覚えられず難しかったので常識として覚えていきたいと思います。内国府に子ども家庭庁があることに驚きました、子供家庭に着目してそれについての行政があることはとてもいいなと思い福祉にも基づいていると思いました。元は子ども家庭局だったが重要視された事で移管し多くの支援を行っているということが凄いと思いました。
"自分の意思で決める選択か家族が決める選択どちらが正しいかと言われたらどちらとも言えない。しかし1つ言えるとしたら自分で決めた選択には必ず責任をもたなければならないということだ。その選択1つで人生が変わる。だからこそ真剣に自分と向き合って納得するまで考えるのである。私は将来ソーシャルワーカーになった時にどんな状態になっても極力答えられる努力をしていきたいなと思った。
自分は「まだ1年だから」と言い訳をして難しい単語は避けてきてしまいましたが、今回の授業を通して厚生労働省のことや、人生会議など考えさせられるようなことも多くあり、「ケアとはなにか」を読んだ上で専門的用語など、1年生のうちにある程度頭に詰め込み、実習などすぐに言葉が出てくるような工夫をしたいと思いました。また、問に対して答えは人によって何通りもあり、このような考え方ができるんだなと考えさせられるいい機会になりました
分からない単語が多く全部書ききれなかった。もう時間が無い患者さんに対してどう接するべきなのか、人生会議というポスターに対して批判があるように対応が難しいことが分かる。自分だったらどう接するかこの授業を通して考えていきたい
"意思表示人達に何ができるのか。そして、それは相手が望むことなのか。これは、ケアラーとしては究極の悩みだと思う。意思が伝えられない状態でどうすれば通じ合う方ができるのか。裕子さんのプリンの話のように自分たちにとって特別と思えるようなもので言葉にできなくても通じ合えたらいいと思う。"
今日の授業では人間会議ということについて詳しく学びました。本を読んで感じたことは、自分の人生のことを信頼してる人や医者の人などに繰り返し繰り返し話し、どのような最後を迎えたいのかをある程度自分自身とその人たちと話しておく必要があり、繰り返し話すことが大切なことだと感じました。また、人間会議についてのポスターや映像を見て伝え方によってはあまり良くない伝わり方もあることがわかり、どのように伝えるのがわかりやすいか見てもらいやすいかと言うことも考えなくてはいけないと思いました。自分も将来家庭を持った時に人生会議をしておきたいです。
"今回の授業で患者に対しての、治療は身体的なものだけでなく精神的なものの治療も病気に有効だということがよくわかった。患者に対してやりたいことをやらせてあげることで症状を回復すること以外でもなにかしらにつながることが実際に起きたと聞いて感動した。この話を聞いてケアと医療は似ているようで異なるものだということを再認識することができた。もし周りに病気で悩んでいる人ができたときには、病気に関してだけでなくやりたいことをできるだけやらせてあげたいと思った。"
今日の授業で1番心に残っているのはケアとは何かの中のライブに行きたいという部分です。医療と福祉似ているようで違う部分がしっかりとあります。好きな音楽や映画などはその人らしさ。その人そのもの、生きるを楽しいに変えるものです。ケアラーは本人の希望をより近い形で叶えてあげることも福祉なんだなと気付かされました。
"本の要約をするときに専門用語がさらに増えていて調べる作業が多かった。調べただけでは分からないこともあったが、授業で先生が説明してくれたことで理解が深まった。医療的から見た視点とケアでの視点で患者への支援やサポートを考えることができた。こども家庭庁の職員が300人ぐらいと聞き、意外にも多いと感じた。"
"家族での人生会議は名前は聞いたことあっても、自分の家族では行ってこなかった。人生会議の大切さを知ることができた"
"人生会議のポスターは幅広い世代の人々が興味持ってくれるように少しユーモラスのある感じにしたのかなと思いました。実際私も少し気になり、19歳ですが人生会議してみようかなと思うほどでした。ですが、もし自分が病気をもっていてこのポスターを見たら感じ方はきっと違っていたと思います。誰も傷つけることなく多くの人に人生会議について知ってもらうポスターを制作するべきだったと感じています。
また、患者さんに対してマニュアル通りの接し方がすべて正しいとは限らないことを知りました。患者さんをよく観察し考え、そして直接話を聞いてなにを望んでいるのかを読みとり、適切に対応していくことが重要なことであると忘れないようにしたいです。また、自分で選択や意思決定をしている人は自律しており、ケアラーはその意思を実現できるように介助することも大切なことであり、今後の勉強の中でも役に立つなと感じました。"
実習で実際に人生会議に参加させていただき、本の内容とほぼ同じ内容を見ました。私が見たのは、患者さんと医師・看護師・PT・ST・OT・薬剤師・MSWが参加したものでした。患者さんははじめ、延命治療は一切望まないとおっしゃっていたが、医師が丁寧に聞き取りを行うと、痛みどめは継続してほしいと伝えていました。患者さん目線として、人生会議が行われると「死が近いのか」と自暴自棄に答えてしまうのかなと感じました。最初に話した内容が本心なのか読み取る力がなかったら、本人の本当の意思に沿えない治療方針になっていたと思うと、読み取る力はとても大事なのだと感じました。
患者や、利用者の方が、願いがあるのに対し医療的な理由で願いを切り落としてしまうと、さらに悪化してしまう可能性があるので願いもしっかり受け止める必要がある時わかりました。自分も福祉の仕事をしたいと思っているのでこの点にはしっかり気をつけてる必要があるのだなと思いました。
"私はプリンを通じて、医療的判断によってできなかった家族の本当の会話が出来たのだと思いました。医療は治すことを重視しているため、判断によってケアができなくなってしまい、患者の本当の望みが叶えなくなっわてしまうのは違うと思った。
話は少し違うが、その子供を見ていた医者は、母親へ「治る」と話したから母親が「治ってから食べようね」と子供を抑圧していたのでは?と感じた。医者は辛い現実であっても、ケアラーの方に患者の状況を伝え、一緒に理解してこの先病とどう関わるのか話し合うのが大事だったのでは?と考えた。"
患者さんの意思は状況に応じて変化するものであり、決定が患者さんにとって最善のものか振り返りを繰り返して行うということが重要とあり、患者さんの気持ちや思いが第一優先でなおかつとても重要だと感じた
私はポスターを最初に見た時、目を引くのでACPについて色んな人に知ってもらいやすいのではないかと感じた。しかし、実際に厚生労働省が出すと批判されたことを知り、実際にその場を置かれた人達などは嫌な思いをしているという事を知った。自己決定をすることはとても難しい。今回の裕子さんの話を読んで痛感させられた。家族はその期待に応えたいと感じるが、医師などの病院からすると難しいことも多いだろう。その中でも専門家などとコミュニティを作りながら出来るだけ希望に答えていけるようにこの間に立っていかなければならないと感じた。
患者の自己決定において、患者とその身内で話し合うことに意味があり決して答えを求めるものでは無いということが分かりました。自己決定を強いられていない健康的な人たちはそのことをを軽視してしまうということをしてしまったので、慎重的な表現がこれから求められると思いました。
"プリンを食べたかった話で感動した。自分も将来ケアワーカーを目指しているので、無関係な話ではないと思った"
"本を読んでいて、人にとっての優先順位は決して他者によって決定されていいものではないと思いました。当事者の小さな願いを叶えるというケアの役割と、健康状態を優先したいという医療の役割が対立した時に大切なのは、当事者とコミュニケーションを重ねた上でその人が何を大切にしているのかを確認し、本人たちの意思を尊重してあげることだと思いました。
きっと当事者やその家族もこのような葛藤を抱えている事が多いと思うので、それぞれが後悔の残らない選択ができるように支えていくことが重要だと感じました。"
図を見ながら厚生労働省や誤嚥性肺炎、褥瘡など初めて聞く病気について学びまた、授業の冒頭で仰っていた通り知っている単語だけでなく、大学で習った単語もしっかり自分で使えるようになることが大学の学びで大切なとことだと感じた。
自己決定などその人が自分の意思をいい、尊重しその人にあったものをやる。家族と本人の意見が違ったり、先生にまかせる。と言った患者もいたが1度も先生自身で物事を決めたことは無かったが、客観的な意見をつげ、答えの出ない現実とずっと向き合ってきた。完璧とまでは言ったとは限らないとゆうようなことが書いてあったが、その人のできることを全てやり、話し合いを続けていくことがほんとに大切だと思った。
第二章では、獲得したい言葉が多くあった印象がある。行政から、内閣、内閣から枝別れしていく中で、教育者として文部科学省の存在をしっかり押さえていく必要があると感じた。また、私は「人工透析・透析治療」のついてこの機会を通して知ることができてよかった。高校生の時に語句は耳にしていたが、あまり理解ができずにいた。このような透析治療があることで腎機能を代替することができる反面、針を刺す痛みのストレスなどがあるため、患者の心のケアも考えていきたいと思った。
今回ケアとは何かの二章について深く学びケアと医療の違いについて理解しました。医療はルールを重んじてルールに沿って行動する。それに足してケアは患者さんの願いを叶えるために行動する。本で出てきた裕子ちゃんの話だと病気になってしまった裕子ちゃんが食べ物を食べたいと言った時に時にお母さんは「病気が治ってから」と答えた。その後余命宣言されたときにあの時食べさせられなかったから今回は食べさせようとプリンを食べさせた。そうすると裕子ちゃんは涙を流して喜び余命宣言よりも長く生きた。最初は医療のルールに従ったが最後は子供の願いを聞き入れた。この話を読んで最後お母さんと裕子ちゃんの間の関係を直せたと感じた。だが医療による食事制限も大事なもので、どちらも優先するの難しい。いい塩梅でどちらとも優先はできないものかと疑問に思いました。
患者さんや利用者の方の願いを聞くことなく、医療的な考え方で判断してしまうと、願いがかなわず、さらに状態が悪くなってしまうということが起こってしまうので願いを聞き取るということは、大切だとわかりました。実際に自分も福祉関係の仕事をすることを考えているので、このことを特に気を付けていきたいと思います。
今回の授業ではACPのアドバンス・ケア・プランニングについてのポスターの事で批判的な意見が多くある事があったニュースを見た時にその当事者や患者の人達に嫌な思いや不快な思いをさせてしまっている事があると思うとへんに自分の意見だけで行動をしては行かないと感じた。ですか患者さん達の願いや願望を話し合う人生会議はとっても家族や友達とかとコミュニケーションを取ることに当たっては良いことだと感じた。
厚生労働省のことについて、今まであまり知らなかったので、理解することができて良かったです。また、こんなに多くの内部部局があると分かり、驚きました。自律は自分で決めることを知り、それは重要だと思いました。自己決定は状況に応じて変化し、話し合いをしながら、その都度確認することが重要だと分かりました。講義の最後の動画を見て、信頼できる人との人生会議して、また医療だけに捉われず患者の願いを叶えることも大切だと思いました。
福祉は、1つの省の中に全て入っている訳ではなく、いくつかの管轄に分けられていることがわかりました。また、審議会、検討会は、多すぎて驚きました。「人生会議」のポスターでは、伝える時の表現の仕方等で、その立場に立っている人の心を傷つけてしまうなど、配慮にかけてしまうことがあるのだな、と思いました。
お食い締めという言葉をケアとは何かで初めて知り、確かに余命があと僅かという時に好きな物を食べずにこの世を去ると言うことは私の中で自分は病人のまま死んでいく気がして、必ず後悔が残る人生だと思ってしまうので私が私のままこの世を去る時は好きなことをしたり、好き物を食べたいと思います。
今日の授業では、患者や当事者の立場に立って願い事を実現させようとするケアラーやその周囲の努力を本から読み取ることが出来ました。プリンを食べたかったかもしれない子供とその親の気持ちが伝わりあって親子関係の齟齬が解消されることや、環境によって患者や当事者の生活課題が変わっていくことなど、ただそばに居るだけでは伝わらないことや当事者ひとりでは解決できないことが訪れたとき、ケアラーはその人の願いが叶うように支えることが出来ることを学びました。また、その人がどうしたいのかという願いを想像してその人の願いを先取りする声掛けを行うことは本人を尊重する上で重要な行為だと感じました。
本人の意思ではなく治すことを重心的になってしまうのではなく、本人の気持ちに沿ったケアをしていくことが大事だとわかった。
今日はケアとは何かの第2章1~4の授業と厚生労働省について詳しく学びました。人生会議をすることは大切なことだと分かりました。紅谷浩之医師の考え方や言葉を聞いて、当事者の心情や希望を最優先に考えていることが伝わってきました。また、願いを叶えたことで、<出会いの場>が開かれたことに感動しました。もし私が当事者だったら、どんな状況であってもコミュニケーションを取ろう、希望を叶えようというように支えてくれる方がいたら救われると思いました。
ケアが医療と乖離すると言うのは医療での死期を長らえるという目的と、ケアでの観点では本人の要望を尊重するという違いを知りました。そして紅谷医師の人生会議の映像をみて、長く生きる=幸せでは無いのだと思いました。
"今日は終末期医療などにおいて、患者、家族はその時の状況において決断や判断を変化することもあり、なかなか、自己決定は難しい。答えをすぐに出すのではなく、話し合いのプロセスを示す事や、患者がどう考えているか理解する必要がある。また、患者の小さな願いをキャッチすることで親子関係を再編成し、ケアを支えることがケアである。ケアをしているつもりでも患者の環境を整えよたことが、患者自身の生活を窮屈にさせるものになるかもしれない。患者本人、家族にきくことが当事者の願いを1番に考えることを目的にケアをしていくのが大切だと感じた。"
"本の中や動画内でもあったように最初の人生会議のポスターは私のように周りにそのような境遇の人がいない人は顔が少しイラッとする程度かもしれないが、当事者やその家族があのポスターを見たら、馬鹿にされている、真剣にして欲しい、もっと生きたいのに、と怒りが湧いてくるものではないかと思った。最後に見た動画の方が、家族で話し合っておくことの大切さ、楽しいことを沢山話して伝えておくことが生命力に繋がることもあるとわかった。常日頃から患者と家族やケアワーカー同士の対話を心がけることが対話が困難になった際の助けになることを学んだので、知識だけでなく心がけも大切にしたい。"
今回の講義で、当事者の「願い」を実現させることが目的のケアと病気の悪化のリスクを回避することが目的の医療、それぞれの目的が乖離してしまう場面があることを知りました。また、そのような場面で当事者やその家族が望むケアをするには、対話を繰り返し行い「その人たちが一番大切にしているもの」を一緒に見つけていくプロセスが重要であることが分かりました。
ケアとは何かの続きをしました。前回見た映画と似ているなと感じた部分がありました。それは治療やケアをするよりも好きな食べ物を食べたり、音楽を聞いたりすることで回復することがあるということです。本を読んでいく中で自分なりの気付き、発見がありました。
"2019年の11月25日に公表された人生会議のポスターを見た時、明るく振る舞っていて良いのではないかと感じましたが「患者に治療をあきらめさせようとする圧力を感じる」などという批判があったことを知り、主観的にみてみると確かに自分も批判する気持ちがでてしまうかもしれないと思いました。
医療とケアの違いのお話では、私は今回の授業をやるまでもし身近に患者がいたらその方を想って栄養のある食事を食べさせたいと思っていました。しかし、栄養のある食べ物を食べさせても患者にとっては幸せではないのかもしれないし、好きな食べ物を食べさせるということも患者のことを想う優しさなのだと学べました。このことを忘れずに生きていきたいです。
人生会議のポスターが炎上した件をみて、できるだけ患者さん達の気持ちによりそった言葉を心かげた動きが必要なのだと痛感した。
"今回は、個人の願いについてみた。人生会議についてみた。人生会議は、治療法や治療する場所などを話し合うことだと考えていた。まさしく、死ぬための話し合いと考えていた。だか、筆者はたくさんの話をする。治療のことを話すのも大事だが、それよりも大切なものは、何気ない日常の会話ということに、納得ができた。死ぬための会議では、その人を置いてきぼりにしていまい、生きることへの希望につながっていないと学んだ。これを知ることにより、ここまでの講義が、当事者に寄り添っていたことに気づくことができた。さらに、ケアは医療と違い幅広いものだっだ。医療は病気に適した数少ない薬も方法によって行われるが、ケアは日常生活全てがケアになっているため、一秒間がケアの一部であった。"
自己決定をめぐる議論の一例のような、家族側や当事者以外の人が求めているものと当事者本人が求めているものが違うという場面は透析治療の他にも見受けられると思う。私も「患者さんの意思は状況に応じて変化する」ことにとても共感しており、急いで意思確認をし、それだけで判断するのではなく、繰り返し繰り返し迷いながら家族と当事者とケアラーが話し合うことがとても重要であると思った。そこで話し合う内容も、治療についての意思決定だけではなく、当事者の小さな願いを聴き、それを叶えようと努力する積み重ねこそが大切である。『「何が好きか、何を大切にしているのか」を考えてみよう』という言葉がとても印象に残った。
今回の講義では、人生会議の内容を皮切りに当事者の〈小さな願い〉やその人らしさをつくるケアを学んだけど、人生会議のポスターではポスターを作った検討会と当事者との間の〈出会いの場〉が欠けていたのではないかと思います。正直、もっと当事者の方と接していれば誤解が生まれるような書き方や言葉を踏みとどまって考えられたと思います。当事者の〈願い〉、必ずしも「選択」や「意思決定」に至らなくても、どんなに小さくてもいい。それを叶えようとする当事者の努力があるからこそケアラーを当事者に寄り添い「出会いの場」を広げていくこともケアの本質なのではないかと思いました。
"人生会議のポスターのところで、自分としては命に関わることなのにそこで少しおふざけが入るのは違うかなと感じました。もっと病気で亡くなってしまったことのある家族なら寄り添うようなポスターにするのを厚生労働省がやるべきなのではないのか、国の行政機関がなにをやってるんだと思いました。"
ケアと医療が乖離するケースがあるがその時には本人や家族と話し合う事が大切だと分かりました。また人生会議についてはいつどこで事故に遭ってしまい植物状態などになってしまうか分からないので家族と前もって話し合いたいです。
今回の授業では「生きる」ということについて深く考えさせられました。「生きる」と一言で言えばそれで済んでしまうような気がしますが、延命させることだけではなく今を楽しみ充実させることでもあると気付けました。また患者さんの満足するという気持ちをサポートすることがケアであり、医療はどうしても医療機関としてのルールを守らなければならないので実質的な治療を行えても心や満足すると言う精神的な部分で言えばケアがとても大切なことだと感じました。
厚生労働省には医療に関わる医政局、貧困や社会福祉法人に関わる社会・擁護局、高齢者福祉に関わる老健局、子ども家庭局(→子ども家庭庁に移管)など内部部局があることを知った。また、ケアラーは患者や利用者の方に社会・経済・文化等あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように支援することが必要であり、私もそれが大切だと感じた。
"「人生会議」のポスターは、当事者の配慮が欠けていたために批判が殺到した。ケアと同じように最も大切なことは、当事者に寄り添うことである。ケアの目的は治すことがすべてではない。人生の主人公である本人が何を望むのか、言葉での対話が難しくなった頃でも当事者に寄り添うことができるように、これまでのコミュニケーションの積み重ねが大切であると感じた。ケアしていく中で、変わっていくことだけに期待するのではなく、関わることで安心感を与えることや居場所をつくってあげるという気持ちで寄り添うことが大切だと学んだ。
"自身でノートpcを持参し先生が言っていることで興味があることを調べながら講義を聞くとより興味深い講義になった。
今回の授業は本に出た重要語句や新出語句の解説をやった。自分でも調べた単語もあったが、まだ詳しく調べきれてない単語もあったので、もっと本を読み込み知見を深めていきたい。
ポスターの内容に関しては捉え方によっては患者や家族を傷つける内容だと感じました。
人の不安をあるようなことは決していけないことだと思うが、誰かに話しておかなければいけないということは正しいことであって、伝え方がいけないと思った。家族でも施設の人でも誰か信頼してる人に相談して、1人で抱え込まない方が良いのだと思った。
人生会議というものを初めて聞いて、こんな呼びかけもあるんだと思いました。たしかに1つ目のポスターはその当事者や当事者の家族からしたら ふざけている や 煽っている と思われ、批判されても少し仕方がない部分もあるなと思いました。しかし、2つ目ポスターはその当事者についての物語があり、とても感動しました。人はいつ死ぬか分からないけど、そんなことは考えずに何が好きで、何を大切にしたいか。これらのことを話すことが生きていく上で大切なことになると思いました。
"できることが病気でできなくなってしまうこと、できていたことができなくなっていってしまうこと、病気になった本人にしか分からない気持ちもあると思うし、看護する側は分かってあげたいと思うと思う。その中、自己決定の難しさや現実的な問題と色々迫ってくることが分かった。そのため、本人との対人関係の中でのコンセンサスを得ること、かすかな変化にも気づき、その都度話し合うことが大切なことが分かった。その人がやりたいと決めたことに向き合い、大切にしたいなと思った。"
今回の授業を受けて透析治療、人工透析、嚥下、褥瘡、床ずれなどの用語がわかりました。
本の意味や言葉について考えてみて、自分でも分からなかったことや調べてみてわかったこと、先生に言われて気づいたことがたくさんありました。だからもっと深く読み、調べていきたいです。
身内に透析を行ってる人がいるので透析について詳しい知識を得ることが出来たことが大きな学びとなったと思います。
今回の授業を通して人生会議について考えさせられました。人生会議とは親しい人や医療の専門職に自分の望んでいる医療ケアを共有するしていくことだが、多くの人が人生会議をし、医療ケアを共有できていないことが現状です。家族に自分の医療ケアの相談をするのは恥ずかしい、申し訳ないまた、どのような医療ケアを望んでいるか尋ねる方も気を使う場面が多くあると思います。医療専門職の力を借りながら少しずつ話を進めるべきだと感じました。
仮に事前に今後のことを考慮してああしといたほうがこうしたいなどの要望等を聞いたとしても治療を受ける中で、心情の変化はあると思うので、その変化にちゃんと向き合う必要があると思いました。
他の方の回答を聞いて、「ケアとは何か」の要約にあたって人それぞれ様々な切り取り方があることを実感しました。動画のお子さんは幼いにもかかわらずお父さんの病状を理解していて、自分の意見をしっかり持ち発信する能力があると感じました。
音楽を聞いた瞬間に笑顔を取り戻したり、援助者の手をとって一緒に踊り始めるなど、音楽をきっかけに自発的に行動する様子は、その人が本来持つストレングスなのだろうと感じました。日本でも精神障害者の地域移行が進められていますが、日本と比べソーシャルワークで先進的とされるアメリカでも(少なくとも製作された2014年当時は)高齢者や精神障害者の施設入所を原則とした、クライエントのQOLが軽視されている現状、課題を抱えていることが意外でした。ただ、音楽療法を広めるために、ダン・コーエンが様々な施設に足を運んでメリットを説明したり、音楽を聴いて喜ぶクライエントの想いを代弁する様子から、ソーシャルワーカーとしてのソーシャルアクション、アドボカシーが現れていたと感じました。
医療の面では病気を悪化させないことや衛生管理などルールを重視しなければなりませんが、ケアの面では文化的な願いや食べたいなどといった願いを叶えることで当事者に生きる活力をもたらしたりすることができます。しかし、医療とケアの2つは乖離しているのでどちらを優先すべきか判断が難しいなと思いました。患者さんやご家族の意思は状況に応じて変化するためその都度想いを確認し、話し合って行くことが大切だということを学びました。
国の機関について、幼稚園や保育園は文部科学省や厚生労働省に分けられることは知っていたが、福祉にあたる機関が厚生労働省だということを初めて知りました。食物が何らかの理由で喉頭と気管に入ってしまうことを誤嚥ということを初めて知り、私自身気管に入ってむせてしまうことがあるので気を付けたいと思いました。また、自分が認知している自立と自律の区別ができたので良かったです。
" 今回の講義では、第2章の前半部分を行った。この章では、医療用語が多いと感じた。医療用語は聞き馴染みが少なく、身近な人が罹っている病気や実写化で主人公が罹っている病気などしか医療用語が分からなかった。調べても文字だけだと分かりにくい所が多々あり、写真や図や動画などを見ると分かりやすかった。また、厚生労働省が発表している「人生会議」というものをこの本を通じて初めて知った。元気なうちに将来について考えることは大切なことだと思うが、現在完治する為に頑張っている方々が頑張れるようなポスターや動画を制作すべきだと思う。しかし、それだけだと元気な人達は何にも関係がなくなってしまうので、定期的に大切な人と「人生会議」をすることをインターネットを通して国民に促すべきと考える。"
日本の公務員は他国と比較すると圧倒的に少ないことに驚いた。意思は変わりうるもので事前に確認したからといって決めつけてはいけないことがわかった。継続的に話し合いをしていくことが大切だとわかった。
"今回の講義で取り扱った、人生会議のポスター炎上批判に思うことがありました。ポスターはもしものときのために、あなたが望む医療やケアについて前もって考え、家族等や医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組を早めにすることをあおるような内容です。ポスターデザイン等が「誤解を与え、患者や遺族を傷つける」と批判が集中しました。個人的には、人の死と煽りはミスマッチなのかなと思いました。明らかな煽り要素の入ったデザイン、言葉選びで相手を煽り早期的な誘導を試みたというのが煽りの目的だと思いますが、人生会議をする人というのは先が不安な人が多く余裕がないと思います。そんな中であのような宣伝をされても不快な部分が大きく影響すると思いました。犯罪警告や防災、カジュアルイベント等で煽り要素のあるデザインにするのはいいと思いますが人の死が関連するような内容だとモラルに欠けると考えました。"
今日の授業で出てきた透析治療・人工透析を行っている知人がいるためとても興味がある分野だった。
治療やケアをするにあたって、当事者を置き去りにしない事が大切だと改めて感じた。しかし、患者や家族の意思は状況に応じて変化したり、自己決定は難しいものであるため、治療やケアについて、繰り返し話し合いながらその都度想いを確認するなど、当事者がもつ「願い」を探り出してケアをすることが大切だと感じた。
嚥下の話をしている時、祖父を思い出して感慨深かった。死因が誤嚥では無いかと言われていたから。結局は不明のままだったが、その時の感情が蘇ってきて、胸が押し潰されるような思いになった。福祉の勉強を重ねるうちに、経験してきたものとリンクしそうな気がして、心持ちがいるなと感じた。人に寄り添うのが病院とは違う介護として関わるということだと学んだが、知識として分かっていただけで実感していなかったのが目の当たりになった授業だった。
今日は、社会福祉士の入門6回目で、厚生労働省や医療のポスターなど勉強しました。人生会議のポスターに批判がよったのは、病気の人を馬鹿にしているイメージなどがあって批判されているのだと感じました。胃ろうには、手術で腹に小さな穴を開けチューブをとうして、栄養を入れることで栄養素が確保しやすく影響が小さいことを学びました。栄養が入ることで小さな命も守ることができると思いました。
教科書を読んでみて、言葉自体は知っていたけど意味までは知らなかったので、やはり言葉を調べて自分なりに説明できるようになっていた方がいいのだなと思いました。
"今回の予習範囲の中で、人生会議のポスターの内容について取り上げられていた部分が印象に残っている。人生会議啓発のためとはいえ、ポスターに写っている芸能人の方の表情はミスマッチしているなと感じられた。本の中では実際にポスターに寄せられた声も取り上げられており、ポスターの異常さをより強く感じられた。"
"人生会議という取り組みをはじめて知りました。命の危機やもしものときに備えて、あらかじめ自分の人生をどう終えたいのか、決めておくことは非常に大切だと思います。
去年祖母が脳梗塞で倒れ、治療を行い、今月老人ホームへ入居することになったのですが、終身利用の施設なので、延命治療はどうするのかなど、自分の最期を考える必要があったそうです。この機会に家族の中でも、人生会議を行い、病気や事故に遭ったときに、どのように対応するかなど、もしもの時に備えて、焦らないように行動できるように話し合いました。今までこれほど重い話を両親としたことがなかったのですが、両親がどのように考えていて、何をして欲しいのか理解することができ、良かったと思いました。
また、普段から両親と話し合いをする機会が少なく、両親が何を考えているのか理解できない時もありましたが、これからは、こまめにコミュニケーションを取り、互いに理解し合える話し合いをしていきたいです。
病気の悪化リスクや衛生管理の問題で患者の身体を安定させるためには食事制限が必要なことがある。しかし、ケアの視点では患者の食べたいという意思を尊重することも重要であるということが分かった。手作りのプリンを食べたことで無反応、無表情だった裕子ちゃんに反応を与え、失いかけていた生気を取り戻したように時には医療以上の意味をもたらすこともあることが分かった。
"誤嚥や床擦れなどの老化や寝たきりに伴って発生するものは福祉を学ぶ上でよく出てくる。直接関わるのは介護福祉だが、社会福祉士も支援を行うまでの過程で遭遇する。これらは介護や環境によって支援の幅が変わるため、事例を調べどの程度の支援をするのか学ぶことが大事だと考えた。"
透析治療をしている人が母の知人であるらしく、3日に一回、透析治療する必要があり、それが辛いからといって、一週間透析しないとしない方がきついらしく、過酷な方法だなと思いました。また私の母が糖尿病で、糖尿病はいろんな合併が起こる可能性があり、透析治療をする可能性があるのだなと思いました。裕子ちゃんがプリンを食べれたこと、お母さんの罪悪感も優子ちゃんがプリンを食べれたことで少し晴れたのかなって思いました。
第二章を読んでみて、人生会議について考えたことは医療者側と患者の新式のズレは当てはならないと感じた。今の自分に人生の最期を考えるのは難しいが、命の尊さや重みを軽視してはならないということをまず理解しておく必要があると改めて感じることができた。
家族内での人生会議は必要だと思った。理由は今後についての家族で話し合えるから。お互いに病気についてどのように考えてるかの共有をすることができ、これからどうすればいいかの方針を定められる機会になれるから
第5回 関連映画の視聴『パーソナル・ソングス』
"映画に出てくる障がいを持った方々が音楽で感情を取り戻し自発的な心や体の動きを見せ始めるのを見て、映画を見始めた最初の頃は、音楽は凄い。というような安直な感想を思い浮かべたが、映画を見ているうちに、ただ単純に音楽は凄い。だけで済まされないような内容になってきてとても興味深かったです。特に映画を見る前に資料に目を通したミクロ、メゾ、マクロのアプローチに関わることが出てきたところで直ぐに映画の見方が変わりました。例えばメゾとしてのアプローチでは、寄付金が手に入らない状況などが描写されていて、アメリカにおける老化への関心の低さや、認知症の患者が増える一方であることにも関わらず医療現場の人材不足が続く現実から目を背けようとする現代人の態度が伺えました。またマクロのアプローチに関しては、音楽を使ったケアの方法に政府の期待値が薄いことが分かりました。認知症の高齢者や施設で暮らしている障がいを持った人々を音楽でケアしようというアプローチはあったけれど、世間や政府がそれを推し進めてはくれない、施設側と世間の意見の食い違いが映画でのアメリカの世界観を作り出してしまってるのだと思いました。けれど、この食い違いをすぐに解決することもまた難しいことだと感じます。質の高い人材も数年単位で育成することが出来るわけでは無い上に、援助金も大きな金額が集まるとは限らない。映画を見ながら深く心に思ったことは、やはり、障がい者や認知症の高齢者に対する世間の関心の低さでした。福祉の現場のことや薬を使うのでは無いケアや医療の方法を説明して、これらに対する現代人の関心をどう向けるのかというのもソーシャルワーカーの仕事だと感じました。
私自身も実際にフェスやライブに行った時聞いた曲を聞くとその時に感じたことなどを思い出すことがある。この働きを療法として活用していることを初めて知った。音楽が脳で1番刺激されることを使ってミクロ、メゾ、マクロとしてのアプローチがされていることはより沢山の人に知られていくべきだと考える。「ケアとは何か」でも学んだ相手のことを知ると言う行為はミクロへのアプローチへも繋がる。今回のように音楽を聴きたいと感じている人も多いだろう。医療行為と見なされていないためにこの活動を実際に行おうとしない社会と活動を進めようとしている団体を繋げていく必要があると考える。薬だけが最善の療法ではないということをより知っていくことが大切である。高齢化が進んでいく中で社会から排除されない為にも動くことが必要である。
"映画の中でもがきは心の伝達手段であり、薬で押さえつければ心を閉ざし世界との繋がりを切ってしまうといっていて施設で働いている人や病院は落ち着かせるために薬を与えているけれどそれはクライエント本人の人間性を奪ってしまうのかなと感じすごく難しいなと思いました。ソーシャルワーク総論の授業で社会資源について学び、その中でクライエントのニーズに合わせて社会資源で今あるものが機能していなかったら作り出すことも必要と学びました。この映画のダンさんはパーソナルソングを聴かせるという活動はまさにそれを作り出していて、このようなことだったのかとやっと本当に行っている人がいて知れた感じがします。今回この映画を見て音楽を記憶する脳の部分は認知症の影響を比較的受けにくいことを初めて知ったり、音楽によってこんなにも人との繋がりを感じることができたりするのは素晴らしいことだと感じることができました。社会福祉を学び社会に出ていく私たちにとってダンさんがクライエント、全ての人のために戦い続ける姿勢は見習いたいし尊敬すべきだなと思います。"
"映画の中で音楽の力は素晴らしいとは感じたが、本質はそうではないと自分は思う。勿論、大きく音楽が力を発したのはわかっているが、その音楽が力を発するために必要なのはケアラーの方達が、福祉を必要とする人々のことをしっかりと『みて』必要な音楽を与えることが出来たということが大きな功績だと考える。ケアの本質はやはり相手のことを考え、適切な対応を行うことだ。まさに、完璧な対応だったと思う。音楽という形だけでなく他にも方法を模索し、考えていたケアラーに賞賛の意を示したい。"
今回の授業ではパーソナルソングという映画を見て認知症の人や精神障害を持っている人にとって音楽というツールは自分を素直に曝け出すことができるものであり、周りの人も驚いたり見たことのないようなありのままの自分を出せる素晴らしいものだと感じた。音楽は脳に刺激を与えてその時の記憶や気持ちを思い出して心目覚めさせる力がある事を知り音楽の力は永遠に続く大切なものだと思った。人はストレスを抱えながら生きているだから音楽というツールを使って少しでもストレスを和らげたり軽減させたりするんだなと感じた。私も音楽が大好きで移動時間や作業する時とかによく流す。それで嫌なことがあった時には元気の出る曲を聞いたり場面やシチュエーション、自分の気持ちにに応じて聴く曲を変える。そうやって人間は自分の事をコントロールして行ったりありのままになったりと物に支えられて生きていると感じた。
パーソナルソングを観て、1番印象に残ったのはダンさんの「患者さんの人間性を取り戻す手助けをしたい」という思いで音楽療法を広めるために支援を求めたり、音楽プレーヤーの普及を目指して諦めずに活動したりする姿である。音楽療法という、栄養のある食事や薬を摂ることよりも効果的な療法があるにも関わらず、音楽療法が医療行為だと認められず、広く知られていない現実に歯痒さを感じた。私自身も音楽療法という言葉は聞いたことがあるが、内容や効果は詳しく知らなかったため、患者さんが音楽を聴いたことで思い出せなかった記憶を取り戻して覚醒する姿に感銘を受けた。これから福祉を学ぶうえで、ダンさんのように「人間性」を重視するケアラーになりたいと思った。映画を見ていく中で、気になったところは施設で患者さんが一人一人孤立し、正気を失ったように過ごしている姿である。患者さんが施設から出ようと出口を探す姿や、施設は行動制限があり、次やることが決まっているという患者さんの言葉を聞いて「ケアとは何か」の身体拘束の話を思い出した。患者さんの人間性よりも治療を優先してしまうのはどの福祉現場にも見られるのだろうか。映画の後半に高齢化社会についての話があったが、アルツハイマーと闘う夫婦の妻は薬を使わず、施設にも通わずに闘っている。薬や施設を利用しなくても良くなるかもしれない音楽療法はますますこれからの社会に必要な療法であると考える。
"音楽は認知症やうつ病を一時的に直す効果があるということがわかった。患者の中には、自分自身の生活を他人に管理され常にイライラしとしまう人もいる。感情表現が激しくなってしまう人もいるが、音楽を聴くことによって落ち着きを取り戻したり、更には楽しくなって踊り始める人もいるなど、音楽とソーシャルワークの関係性に深く関心を持った。"
様々な病を患っている人達に音楽を聴かせることでこんなにも自分を取り戻せるんだなと感じた。自分も音楽が好きなので人と音楽の結び付きに興味を惹かれながら見ていたが人と音楽の関係性って素晴らしいなと感じた。
音楽療法で認知症の人が歌い出したりするところを見て音楽は医学的なものでは無いけれど人の意識に作用し記憶を呼び戻したりできることにとても驚いた。音楽を通じていままでに反応がなかった患者から反応が見られたりする。このことから音楽は医療行為では無いが時には薬を使った医療行為よりも効果があったりすることを学んだ。
音楽の力はすごいと言うけれど本当にこんなにも力があるとは思わなかった。もっと音楽による治療について知り、世界に理解が広がる必要があると思った。そうすれば、お金を出してくれる人が出てくるかもしれない。音楽によって、施設にいる人が小さな自由を手に入れることは施設にいる人にとって大きなことに繋がるだろう。
音楽は身近に感じるものだから、それが医療や福祉に役立つものだとは考えもつかなかったです。また音楽の療法が医学的に認められていないという事実にもびっくりしました。音楽を聴いた人たちが笑顔になっている様子を見て、音楽の療法がもっと広まってほしいなと思いました。
映画をみて音楽は人を助け、幸せにする力があるのだなと思いました。音楽に救われている人をSNSなどでよく見かたり実際、自分過去に救われたことも結構あるので不思議ですごい力だなと感じます。映画でおばあちゃんが取材している方と一緒に踊っていて、施設は人を変えるほど孤独だと言っていました。自分は将来その孤独を少しでも和らげ一人一人に寄り添いたいと思いました。
認知症の人は話しかけられても中々話してくれなかったり、昔の記憶が思い出せない中音楽の力で自分の好きな歌、記憶が思い出せ一時的に本来の自分を取り戻す事ができ音楽はものすごい力を持ってると今日の映画を見て気づきました。なにげなくいつも音楽を聴いているけどその音樂によって人の心を動かせられると思ったのでもっと大事に音楽を聞こうと思いました。
今日の授業では映画を見ました。映画を見るにあたり、高齢者や障害者とのコミュニケーションが大切だということがわかり、コミュニケーションは会話することだけではないと感じました。また、映画で登場した人にはそれぞれの過去があり、今後の人生があり、今の生活を好んでない人もいます。そんな中でも音楽を聴くと昔を思い出し、今の生活を頑張れるという気力が出てくるのだと感じました。また、コミュニケーションは会話だけでなく手を繋ぐことや、ハグをするなど人と接する方法はたくさんあることがわかりました。この映画では音楽が主なコミュニケーションの取り方だったが今後たくさんの方法でコミュニケーションを取っていこうと思いました。
認知症の人たちの思い出の曲をかけると一時的に記憶が戻るということがわかりました。また、音楽は感情に訴えかけられたり、自己表現を出来るということが分かりました。
"今回この映画をみて、普段何気なく聞いている音楽にこんなにも素晴らしい力があるんだと思いました。近年で増えてきている認知症やアルツハイマーなどの症状がある人々。自分の楽しかった頃の過去や、辛かった頃の過去、さまざまな過去が思い出せない。しかし、音楽を聴くことによって記憶が蘇る。これは普通に考えたら有り得ないことだけど、実際は起こっている。私自身も音楽だけで記憶が蘇るなんて知らなかった。人の心にはいつも音楽がある と映画の中で言っていたが、それはその通りだと思った。自分の心の中の音楽を聴くこと。それはとても素晴らしいことだと思った。人には子供でも大人でも外からの刺激が必要であり、刺激がないと人は尊敬をも忘れてしまう。尊敬を忘れないように今後は世界中でこのような取り組みをした方がいいと思った。また、日本も高齢者が多いのでこの活動は日本でも取り入れてもらいたいと思いました。"
"今日は映画を見ました。認知症の方に音楽を聴かせたらどんどん昔のことが蘇ってきて思い出すのだなと驚きました。本来の自分の姿を甦らせる魔法のようなものだなと改めて音楽の持つ力は偉大だなと感じました。次回も頑張ります。"
認知症の方やそうではなく昔のことを思い出せない方も音楽によって過去のことを思い出せたり、あまり喋らなかった方が急にたくさん喋るようになったりなどの効果があり、音楽はとても偉大なものであると考えた。またそれに伴って音楽を聴く人たちに共通しているのは夢中に楽しむということであると私は考えるので音楽に限らずとも夢中に楽しむということは年齢関係なく大切なものであると思う。そうすることによって笑顔が増えていくのも記憶に対して大きな効果を生み出しているのではないかと考える。認知症によって忘れてしまうことはあるがそれは一時的なものであり、本当の思い出というものは忘れることはないのだと思いました。しかし、音楽を聞くという治療方法は薬を飲むというもののあくまでも補助的なものであるということを忘れてはならないが、薬を飲まない方でも音楽を聞いて笑顔になる方は多くいる。日本でもこのような音楽のアプローチを多く行なっても良いのではないかと思います。
音楽の力は凄いと思いました。私も気分が落ち込んだときに音楽を聴くと元気になります。認知症や精神疾患を患っているどんな人でも音楽を聴くと気分に変化をもたらすことを知りました。また、「他人の力を借りないと生きていけない。1人では何もできない。」といった悩みを抱いていることを知りました。介護者だけでなく、本人も悩んでいることを知りました。お互いが助け合うこと、生きていることで生活が成り立っているのかなと考えました。
今日はアメリカの映画を見て音楽の力がその人の助けになり、人間性についてわかった。怒りやよろこびがあり、一人一人感情の違いがよくわかった、そこで相手への思いやりが大切で関わり方を考えていきたい
"音楽というものにこんなにも人を救う力があるとは思ってもいませんでした。私は施設にいる方は常に人がいるから孤独ではないと思い込んでいました。ですが、映画を見て、多くの人々が心を閉ざし孤独になっていることを知りました。(全員がそうとはかぎりませんが。)そんな時に、音楽が人々の心や感情にダイレクトに伝わり、心を開いていく瞬間に感動しました。
音楽が必ずしも楽しい記憶を甦らせるとは思いません。辛い記憶も思い出すかもしれません。しかし、その記憶も本人の心を大きく動かすことに繋がるのかもしれないと思いました。また、音楽はそんな記憶たちに優しく寄り添うことができ、薬よりもよい治療なのではないかと感じました。ミクロからマクロに活動が広がっていっていて、施設の方々だけでなく、自宅で治療している方々にも広がれば良いなと思いました。"
"過去のことを思い出せないと言っていたのに、昔の音楽を聴いたらスラスラと思い出していった。また、ずっと俯いていた認知症のお爺さんも音楽を聴いたら、前を向くだけでなく歌い出してびっくりした。さらに簡単な質問に対して自分の言葉で会話をしようとしていて音楽の力を改めて感じた。実習で入院や施設に入っている間に認知症になったり、認知症の症状が進んでしまう人は多いと学んだ。MSWはこれを防ぐために、毎日雑談のような形で声掛けをしていて、コミュニケーションは大事だと感じた。コミュニケーションをとれない方に対して、音楽を使ってみるという選択肢もあると頭に入れておきたいと思う。音楽に限らずその方に合わせた、資源を活用すべきだと思った。どんなに壁が高くとも、必要だと思ったことに対して真っ直ぐ様々な機関や団体に働きかけるということはとてもすごいと思った。同時に、社会福祉士としてこの考え方や行動は大切であると改めて感じた。"
音楽は人に生きる力を与えてくれるのだと知りました。しかし、音楽は医学療法として確立は難しいのも理解しました。認知症の人は症状はそれぞれでも生きる糧になるような治療が出来れば、その人に寄り添うことにもなると思いました。たとえ1人でも治療を頑張っていれば活動は広がっているのだと改めて感じることが出来ました。
"私の祖父が実際に老人ホームに入っていたので孤独を感じていたのかなとかでも一人じゃないし誰かとしゃべっていたのかなとかいろいろなことを思い出した。また、音楽そのものが人の気持ちを動かして泣いたり笑ったりして自分気持ちを出すことが出来ると感じた"
認知症でも音楽療法を試す事で記憶が戻ったり、体が自然と動いたりと音楽には不思議な力があると感じた。
音楽の力は偉大で1番心に響くものだと思った。認知症で訳が分からなくなっても感情を失うことはないし伝わるので諦めてはいけないと感じた。また、介護施設の方達を障害者として接せず健常者として接することが相手にとっても楽であり、常にコミュニケーションを取り続けることが大切であると気づかされた。
映画を見ましたが、音楽は生まれる前から聴いてるものだとわかりました。色々と考えられる映画だったので今後の授業で見たことを活かしていきたいです。音楽を聴くと思い出せない記憶を思い出すことができるとわかりすごいなと思いました。
なんで福祉にお金を回してくれないのか気になった。音楽の力はすごく偉大なものだなと感じた。介護施設の中での孤独感というものが実感できた。
"今日は映画を鑑賞しました。最初、英語だったのでまずい!っと思いましたが字幕をよく見て鑑賞しました。全体的にみて思った事は、音楽の影響力は壮大だなって思いました、気分が落ち込んでいても音楽を聴くことで覚醒する方や音楽には魔法の力があるという事をしりました。私も気分が落ち込んでいる時などには、音楽を聴いて気分を上げてます。認知症の方は、本人の思い出のある音楽を聴くことが有効的な事を知りました。また、足に障害のある方は音楽を聴いたことで2年間歩行器を使っていたが手放して踊ることも出来ることに凄いなと思いました。これは施設の生活が孤独だったということがわかりました。音楽にも沢山種類があって、CDから聴いたり実際に演奏や歌を聴きに行ったり楽器に触れてみたりすることで音楽が成り立つと思いました。"
映画を視聴して、認知症で何も動かす反応を見せなかった患者が思い入れのある音楽を聴くことで、再び生き生きとした表情を見せたり、体を揺らして楽しんでいる姿を見せたことに音楽のもたらす力は凄いと思いました。
認知症の人には、どーやって接しても無駄だと思ってる自分がいました。しかし、映像を見て昔聞いていた音楽だったり、好きだった音楽を聴くとあんなに楽しそうに聴いたり、踊ったりして昔の事を思い出したりする事を見て、音楽はすごいと思いました。それを踏まえて、いかに施設が不自由なのかが分かりました。普段聞いている音楽でみんなを笑顔に出来るのがすごいと思いました。
自分は普段音楽には全く興味がないけど音楽は人を動かす力があるということを今日知って音楽に少し興味が湧いた。ただ曲を聴くだけでなく、その歴史などについても調べたりしてみたい。
映画を通して、認知症や鬱病をかかえる人に対してたた毎日薬を飲ませたり、病院の診断を信じきるのではなく、映画では音楽であったが、患者さんの心になにか訴えるような事をする事が大事なんだと感じた。
高校2年の頃に音楽療法という存在を知ったが、具体的な内容まではあまり分からなかったので映画を通して音楽の可能性の広がりを感じた。だが、現状としては音楽療法は薬の補助的な役割に過ぎず、また世間に知られておらず、実現するのが難しいことが伝えられていて、実際に目の当たりにしないで支援の協力をしないと判断する事に憤りを感じた。この映画を見たあとで、自分の思考が傾いている部分もあるとは思うが、医療方法として認定していなかったとしても、患者としてみるのではなく1人間として見ていない結果、寄り添うことが出来ていないのではないかなと思った。
"アルツハイマーの方々に音楽を使い覚醒させ昔の記憶を蘇らせることが出来るという素晴らしいことを知れたことがとても嬉しいです!
"映画を視聴して、薬などではなく音楽を共有することで情緒が安定していくのだと感じ、音楽がもたらす関係について深く感じることができた。
患者さんになんらかの刺激を与えることでまだこの人にはこんなにも生命力があると気づくことができることにすごいと思いました。それぞれの思い出の中に大切な音楽があって、それを流すことでその人に刺激をあたえることができる、その人を少し変えてあげることができる音楽療法がとても素晴らしいものだと映画を見て思いました。うまく文には出来ないのですが、音楽は小さい子から大人、高齢者どの人までを刺激できる偉大なものだと改めて思いました。施設という周りから閉鎖された場での生活を少しでも楽しく過ごしてもらうためにも音楽の必要さをわかってほしいです。
"今日の動画を見て、過去になにかのアニメかドラマかでみた、精神状態がボロボロの患者に音楽を聴かせたら少しだけ回復したというものを思い出しました。この映画では認知性の人に昔好きだった音楽を聞かせると歌ったシーンがありました。私の祖母も忘れっぽくなった、昔のようにハキハキ喋れなくなったと思うことがあるのに私や祖母の娘に当たる母が祖母に話しかけると昔のように話せる時があったので音楽だけでなく、昔聞いたことのある知人の声などでも記憶をたどれるのではないかと考えました。"
今日の授業では映画を観ました。認知症の方々に思い出の音楽などを聴いてもらうとたくさん話している映像があったり、涙を流す方もいました。施設にいる方の話で、「早く家に帰りたい」と言ってい男性がいました。長年施設にいてもその方にとっての1番居たい場所は家族の元なんだと感じました。毎日どこから出るのか聞いているというシーンがありました。同じ人なので音楽に心を動かされます。私が持っていた固定概念を取っ払って勝手な先入観にとらわれない考えができるようになりたいと思います。
今日は、音楽を介護に活かす映画を見た。映画では、動かなかった人が動くなど、目に見える効果を示していたが、受け入れられるまで時間がかかっていた。この考えを世界中に広めたいとしているので、自分の信念をもってやり遂げるのはすごいと思った。
認知症になった人とコミュニケーションを取る事は難しくなってしまうけれど音楽を流す事によってコミュニケーションが取りやすくなったり、同じ施設内にいる人との仲間意識が高まったりなどさまざまな利点があると気づきました。困難を抱えた人が集う中で何か自分が元気になるような好きなことがあるということは場の雰囲気をよくするためにとてもよい方法だと分かりました。
" 認知症やアルツハイマーの人が自分の娘の顔と名前などを忘れてしまっていても音楽のことは思い出せるのは、自分の祖父が認知症で殆どのことを忘れてしまっていても自分の好きなものは忘れていないことを踏まえて深く実感することができた。 日常生活でもテレビやCMで流れた音楽や何年も前に聞いた音楽を偶々ラジオやTVで聞いた時に『聞いたことがある』や『あれの曲』と思うことがある。自分が好きな音楽じゃなければタイトルも出てこないが、自分の好きな曲ならすぐになんて曲なのかわかる…… 認知症やアルツハイマーの人はどんどん色んなことを忘れていってしまうが、自分の好きなことは記憶に深く刻み込まれキッカケさえあれば思い出すことができるのだろうと映画を見て私はそう思った。"
"今回の映像を見て、私自身音楽が大好きで「音楽なしには私の生活は語れない!!」と思っているほどだから今回の映像にとても感動しました。もし自分が認知症になって過去を思い出せなくなってしまった時にどんな曲で心を踊らせるのだろうかなど考えるとワクワクが止まりませんでした。今回は海外の映像だったからこれを日本で行っても同じ現象が起きるのか気になりました。
あんなにも微動だにしなかったおばあちゃんでも手足を動かしたり、歩行器がないと歩けなかったおばあちゃんが踊っていたりしたのを見て音楽ってすごいなって思ったし、心って改めて目に見えなくて繊細な物なのだと感じました。だからこそ一人ひとりを大切にしたいし、寄り添いたいと思いました。
また、今回行っていた音楽を聴くということが治療として認められていないということが印象に残りました。私は音楽を聴くことが治療になるなんて思ってもいなかったから自分の固定概念に縛られてなにも知ろうとしなかったり当たり前だと思ってしまっていたからもっと視野を広げないと楽しいことにも気づけないなと思いました。"
施設に入ることを嫌がる高齢者がいることを聞いたことがありましたが、多くの方が、1人で戦うことになるからなのだと分かりました。そうしていくうちに、高齢者達は、自分を閉ざしてしまったりして、認知症の方々は特に、喋らなくなっていってしまっているのかな、と思いました。また、認知症の効果的な治療法はないと聞きますが、音楽を聴く、という音楽療法が医療の補助ではなく、医療として施設をはじめ、世間的に受け入れられるようになれば、寄付してくれる方や団体が増えて、心が少しでも満たされる方が増えるのだと分かりました。また、映画で最後の方に、「どんな音楽が好き?」などといった声掛けが、「ケアとは何か」の本の内容の、相手の立場に立つため、コミュニケーションはまず声掛けをすることだと言っていたことと結びついているな、と思いました。
音楽を通じて、こんなにもコミュニケーションができるだと驚きました。今まで音楽は気分に合わせて聴くとしか思っていませんでしたが、音楽と人との関係は深いことが分かりました。考えてみると、自分も無意識にそれぞれの年齢のとき聴いていた曲があることに気が付きました。また、嬉しいときには上がる曲、悲しいときにはしんみりとした曲など、何気なく色々な曲を聴いていたことにも気付かされました。介護施設にいる利用者の話を聞き、自由のなさを知り、問題だと思いました。ストレスが溜まり、薬を飲んでいても無理矢理、飲んでいては良くないのではないかと考えました。今回の映画を見て、ミクロ、メゾ、マクロとしてのアプローチについて前よりも理解することができました。それぞれ、この3つがケアの方法として重要な役割を担っていることが分かりました。また、ボランタリーセクターの役割も問題点を解決する上で大切だと思いました。
この授業の映画鑑賞を通じて、音楽療法は福祉にとってとても良い治療法であると感じた。映画の中の老人は最初は自分の子供さえわからなくて、自分の年齢しか言えずにいたが、音楽を聞いて昔のことを思い出すことができた。魔法のようで、人に力を与えていた。音楽を聴いているとき、音楽に反応して、みんなが喜んで、昔のことを思い出していた。音楽は人間にとって重要であり、人の一生を伴っていると思った。
"今回の授業は、改めてケアの捉え方について考え直す良い機会になったとかんじました。ケアは当事者の最善を考える事も大切ですがそれにとどまらず相手の気持ちを汲み取る努力も必要であると今回の授業で感じました。"
"今回は認知症の高齢者と音楽がもたらす効果についての映画を見て音楽は人を笑顔にするだけでなく病気をも治してしまう素晴らしい文化だと思いました。ゲームなどの娯楽は新しいものに目が行きがちだけれども音楽は昔の曲でもその時代を懐かしむことができ廃れることがないので飽きない部分も魅力の1つだと思いました。"
"音楽による治療についての映画を見た。音楽が好きで何かしらの楽器はしていたため、もちろん色々な曲を聴いてきたが少し苦手な子だっだり難しい先生にも好きな曲があるとわかった時、誰にも好きな曲や思い出の曲はあるのだと感じ今もよく考える。動画内で言われていた「音楽は""目覚めの芸術""だ」という言葉が印象的だった。医師は薬を使い治療するが心は治療出来ないというのは、本にも書いてあった。動画内では音楽は心を治療していたためこれもケアに繋がるのだと感じ、本人に「好きな曲は何ですか?」と直接訊ねるコミュニケーションが大切だとわかった。"
音楽療法で人を救うことを学びました。私は音楽療法を小さい頃から学びたかったので今回見てみてとても嬉しかったです。1年生では3年ながら必修の授業が被ってしまい受けられませんが2年生では取れたら取りたいと思っています。
"今日学んだ事は音楽は無限の可能性があるということです。認知症患者いがいにも躁うつ病の患者の人にも効果が見られ、突然踊り出したり、今まで閉じていた口を開きベラベラと話し出したり、それはまるで映画内でも言っていたように音楽は“目覚めの芸術”そのものだと思いました。私も以前小学校の運動会で流れていた曲を久しぶりに耳にし、懐かしく思い、ほんわかした気分になったことがあります。それも同じだと思いました。
また赤ちゃんにトントンしてあげるとお母さんのお腹の中にいた時を思い出しそれが赤ちゃんにとっての音楽であり、落ち着いて寝るというのも同様に言えると思いました。高齢者を施設に閉じ込めもう何もできない落ちぶれた存在だと、そう本人に思わせてしまっていることが今も昔も擁護者が患者に対する問題点であると知りました。相手の豊かな人間性を剥ぎ取ることなく、音楽や、動物、子供などを使った療法が福祉の間でどんどん広まって欲しいです。今は亡き私の祖父が認知症を患っていた時、音楽療法のことをもっと早く知って、音楽を聞かせてあげたかった、今日少しそう後悔しました。凄くいい映画でした。"
"パーソナルソングを見て、介護施設での生活に患者さんは孤独を感じ、自立心を失い喪失感に苦しみ、また内面的になっていました。そんな、患者さんに音楽を聴く機会を提供することで、人格を呼び戻し、心を呼び戻し、一時的に自分本来の姿を取り戻す姿を見て、人はこんなにも変われるものだと深く感じました。どんな人でも音楽を聴くだけで気持ちも明るく、表情も明るくなり、以前よりも生き生きしている姿を見て、とても感動しました。この音楽療法をより多くの人に知ってもらうためには、医療の常識の壁があり、思うようにはいかない。また、社会福祉施設のプログラムづくりや、資金調達など、さまざまな課題がある。その中で、地道にアプローチし続け音楽療法の大切さを全米に広げる努力を重ねてはいるが、まだ、ごく一部の人にしか届かない現状を見て、より多くの人にこの事を知って欲しいと思いました。
介護施設にいると、患者という視点が先に捉われ、人間性が欠如してしまいます。社会には、高齢者が老いる事に関して、マイナスなイメージを持つ人が多くいます。年を重ねても日々成長し、プラスに考えられる人々が一人でも多く増えて欲しいと願います。自分も、自分らしさを忘れず、年をとることも恐れず、人生を日々過ごしていきたいです。
お医者さんの「薬を使って感情を沈めたり抑えることはできるけどそれじゃなんの解決にもなっていない」といったような言葉が心に残った。認知症の方がパーソナルソングを聴き始めた途端、ノリノリになって質問にも応答するようになったのが衝撃だった。自分も音楽が大好きで人生を救われることもたくさんあったけど、人は生まれる前から共に歌うように出来ていることや、音楽を忘れることはないことや、脳の広い範囲に刺激を与えられることは、今後の医療に大いに活用しなくてはならないのではないかと思う。音楽療法という言葉は知っていたけどこんなに効果があるとは知らなかった。"
"パーソナルソングという映画を見て印象に残ったことがあります。それは、音楽がもたらす効果についてです。認知症の患者さんは介護施設という本人からしたら孤独に思ってしまう場所で暮らす中で暮らしています。病気によって自分のことに関する記憶があまりありません。しかし、認知症の方の記憶に影響されにくい音楽の力で心を呼び起こし失っていた自分の記憶を取り戻して今まで答えなかったことをすらすらと答える患者さんの映像を見て、まだ医療的に認められてはいないがこういった治療の方法があるのだと感銘を受けました。この映画を見て記憶がなくあまり受け答えの出来ない患者さんへのアプローチの仕方や何をすれば良いのかを想像したり政策を練ったりまた、それを周りに浸透させたりというような患者さんや病院の方のニーズを満たすことが社会福祉としての役割であり社会福祉の立場として重要なのだと実感しました。
"映画を鑑賞して思ったことは、薬よりも昔聴いていた音楽で元気がでるということに驚きました。印象的に残っているシーンは、患者が外に出たくてドアが開いているか確認しているところと、患者は施設を家だと思っていないというシーンです。もし身内で介護が必要となってしまったら、介護することはとても大変だからすぐ施設に預けてしまうと思います。しかし、患者は幸せではないんだなとこの映画で思い知らされました。
今日の授業で、普段話さない人や静かな人であってもその人の人間性というものは見たものが全てではなく記憶を呼び起こすトリガーがあると、その人の普段見ることができない本性が見えてコミュニケーションが取れていくということにつながるのだと分かりました。音楽を聴くという医療外行為であるため効果がわかっていたとしても意味がない、保証金が出ないなどで広がらなかったり救われる人も救われないというところで治療を広めていくという壁が高くとても厳しいものなのだと思いました。ミクロとしてのアプローチだけで止めるのではなくメゾ、マクロのアプローチにしていくために、医療行為でなくてもある程度の効果が出たのであれば承認し保証金を出して広めていくような社会になっていかなければ高齢化社会が進む中でとても大変になっていくだろうなと感じました。
今日は映画を見ました。映画の中で最も印象的だったのは普段、歩行器を使っている女性のシーンです。音楽を聞いただけで自分ひとりで歩き、軽いダンスをしていることにとても驚きました。他の方たちにも共通していますが、どんなに優秀な医者や発達した医療技術、薬などの治療方法があっても、音楽をきいただけで表情が明るくなり、体をうごかしたり、コミュニケーションが取れたりなどできるようになることが増えていました。私は思わず見ていて笑顔になりました。新書にもあったような相手の声に耳を傾けることやコミュニケーションをとるには、音楽も重要だと今日の映画を見て感じました。
今日はパーソナルソングという映画を授業で見ました。この映画は、認知症やうつ病などの患者にその人の好きな音楽を聴かせることで症状にどう影響があるのかを試します。すると一時的にですが症状が変化し、回復に向かいました。この実験をしている人は「音楽を聞かせて本来の姿を呼び覚ます」と言っていました。私はこの推測は当たっていると思います。以前テレビで音楽が植物などによい効果をもたらすといっていました。また調べたところ、音楽を聴いたり歌ったりすることで、脳の活性化や心身に安定をもたらすと出てきました。この映画では自分の名前すら忘れていた人達が音楽を聴き体を動かしたり、子供時代の思い出を楽し気に語っていました。私はこの映画を見て、心に与える音楽の力の強さや、音楽を取り入れた医療の可能性を感じました。またこの映画をよく見たいと思いました。
認知症は悪化を遅くすることは出来ても、途中で忘れていたことを思い出したり、本来の姿に戻ることは出来ないと思っていました。今日の講義で改めて音楽は人の心を動かし、生きる意味や忘れていた大切な気持ちを呼び起こしてくれると思いました。私自身も辛い時や気分を明るくしたい時に、よく音楽に励まされた経験があります。心から楽しんで音楽に触れることで誰でも本来の自分になれるんだと感じました。社会福祉の観点から見ても、まだ広まっていない音楽療法を取り入れ、楽しさや良さを多くの人に知ってもらい、音楽で救われる人が増えて欲しいと思いました。
"今回の映画鑑賞で印象に残ったことは、福祉の「担い手」のそれぞれのデメリットについてです。「ボランタリー・非営利」の財源不足であったり「市場」の利益への傾倒など、それぞれの「担い手」には弱点があり、それぞれの「担い手」がバランスよく存在してなければならないことが分かりました。また、他に印象に残ったことは感情を肯定することの大切さです。性暴力を受けた女性たちの悲しみを音楽が肯定して代弁し、その次に幸せを感じる音楽に彼女たちが体をリズムに乗せて笑顔になるシーンは非常に心に残りました。このシーンを見て、音楽による感情の肯定がその人の傷つけられた尊厳や人格の回復に繋がっていると私は感じました。"
"パーソナルソングを見た感想は、音楽を使った治療法がなかなか進められていないことに驚きました。それと、お金が足りない問題に関してはクラウドファンディングなどでも募ることができるなと思いました。本編の前半に関しては、音楽は思い出がよみがえるという点には現在私にもよく起きることだなと気づきました。小学生のころに聞いていたころの曲を改めて聞くとその当時のことを鮮明に思い出すことができることができているので効果があると同時に今まで医療で採用されていなかったことに驚きました。寝たきりの人が音楽を聴いていたら足や頭を動かしたことが感動的でした。薬で抑えられると自由がなくなり世界とのつながりが立たれてしまいさらに状況が悪化してしまうことがつらいと思ってしまいました。それとアニマルセラピーや子供に手伝ってもらいながらのセラピーの存在も知っていましたが高齢者施設では採用されていないことが多かったのでこれからもっと増やすことができる方法を考えていきたいと思いました。"
"音楽はただ聴くだけではなく、認知症の人達を活性化させ、覚醒させる効果があるということを今回の映画を鑑賞して初めて知りました。その流れを見ているうちにこれらがもっと医療関係で役に立てば良いと私も考えましたが、映画にもあった通り、音楽プレーヤーは薬とは違い国が負担してくれるとは限らないので世の中にもっと普及させるという考えは難しいのだと感じました。"
音楽を通して、認知症の方達が本当の自分の人格を一時的に取り戻していて、医師の方が薬よりも音楽の方が効果があると言っていたのがとても印象的だと思いました。
"今日はいつもの授業とは違い、認知症の方についての映画を鑑賞した。認知症により、記憶があいまいになってしまった方の記憶を音楽をつかい思い出してもらい、また社会とのつながりを持ってもらう。という内容だった。映画中でダン・コーエンは「音楽を聴くことで、失っていた人格や当時の記憶を思いだす。まとまらなかった思考が音楽の力で当時の記憶とつなげることができる。」と言っていた。実際に認知症になり施設で投薬などを強制され、心を閉ざしていた利用者さんが昔のことや、自分の好きなことを流暢に語ることができるようになった。それにより、利用者だけでなくその家族にも笑顔が戻っていた。
私が幼いころ、母がうつ病を患っていた。それにより、家庭内も外もとても大変で、母だけでなくその家族も、母の病気により苦しんでいた。母通院しており、薬も飲んでいるが効き目はなかった。しかし、母の昔からの友人との再会により、再び母の心は開かれた。家庭内の不和も消え、私もとても安心したのを覚えている。
映画を見て、音楽を聴き感情を取り戻した認知症の父をみた娘が涙を流したシーンを見て、私も上記の記憶を思い出した。
やはり、精神的に悩んでいる人の心を救うには、その人に社会とのつながりを持ってもらうことが大切だと、映画を鑑賞して改めて感じた。また、その対象になる人をケアすることで、間接的にその周りの人を救うことになると思った。自分が対象者をケアするときは、原因に苦しんでいる対象者だけでなく、その周りの人々も包括的に支援できるような人になりたい。"
"認知症の患者に好きな音楽を聞かせると、下を向いていた人が顔を上げ、踊ったり音楽に合わせて体を動かしたりしていた。音楽はまだ治療法としてないけれど、音楽により認知症の人が昔を思い出して動いたりしてるのを見て音楽ってすごいんだなと思いました。また、音楽を聴くという文化だけは絶やさず続けていきたいとも思いました。"
音楽には元々人をリラックスさせる効果や気分を高揚させる効果があるといわれているけど、今回のパーソナルソングでは、音楽をただ聴いただけの効果とは違って何か別の大きな力が得られていると思いました。しかし、今現在音楽療法は医療の範疇を超えていると捉えられるため普及が難しい状況にあったと思います。けれど、音楽を聴くことによって記憶が甦ってくるだけでなく、孤独からくる内向的な自分を解放し、当事者とケアラーの間に「つながり」ができていました。すべてはケアラーが当事者と向き合ってから始まることであることを学びました。この映画にも「出会いの場」が自然と誕生していました。
音楽で人を感動させたり笑わせたりする力がある、ということはすこしみみにしたことがありましたが、記憶まで鮮明に蘇るという事を映画の中で目の当たりにして本当に心から驚きました。自分の父は言語障害と若干の記憶障害を患っているので、もし自分の父に音楽を聞かせたらと映画の中の高齢者の方と重ねて考えたら言葉には表せない様な嬉しいきもちになりました。実際に高齢者の家族の方もとても喜んでいたので、もっと日本にも音楽療法が広がるべきだと考えました。ただ個人的には日本は新しいものを受け入れるのに時間がかかると思っているので、そこが課題かなと思います。これから先社会福祉についてもっと学び、寄り良い福祉体制を作る一員になれるように頑張りたいと思わせてくれた映画でした。
音楽が昔の記憶を呼び覚まし対象が自信を取り戻していて音楽というモノはすごいと思った。また個別ニーズの把握、個別ニーズの集団的把握を通して集合的ニーズの政策的把握という社会福祉実践の三層構造の仕組みについて改めて理解することができた。
映画を鑑賞して、どんなに何を考えてるのかがはっきり分からなくても、色々な方法で理解しようとすることが大切なのだと感じることができたと同時に、音楽のちからによって歩行器を使っていたおばあさんが立ち上がり、踊れるようになってしまったのを見て、とても驚きました。
認知症患者の記憶はもう戻ることの無い仕方が無いものであると思っていた。しかし、音楽の力を使って人の記憶などが蘇ることがあるのは驚いた。このことは、音楽だけでなく、思い出の場所やものなどを見ても同じようなことが起こるのではないかなと思った。
今日の講義では、パーソナルソングという映画を拝見した。一般的な介護施設のイメージは、閉じ込められて外とのコミュニケーションが取れないことを考えている人が多い。しかし、介護施設の現場に潜入すると介護士と入居者のコミュニケーションはもちろん、入居者同士のコミュニケーションもとれている施設もある。介護施設は、特別養護老人ホームや介護老人保健施設などあるが、長期でいればいるほど施設で生活することが日常となってしまい、いつのまにか介護施設で生活することが日常生活になってしまっている。そこで、癒しとなる対話や音楽を聴くことにより、ストレスが発散すると考える。また、介護施設以外の人とコミュニケーションをとることにより、入居者のストレスが軽減することや他人が介護施設のイメージが変わると推測する。
映画鑑賞を通して、音楽が人々の心にもたらす効果や影響は改めて凄いと感じた。私は認知症を患う高齢者に音楽を聞かせてるときの様子が非常に印象に残っている。感情を表に出すことがなかった患者が驚くほど感情をあらわにし、豊かになる瞬間を見て感動した。思い入れのある曲、思い出が蘇る曲によって心を動かし、患者の心を救うことはこの先もすべき行動だと感じた。長期にわたる施設での生活によって孤独を感じてしまう患者がたくさんいることにも気づくことができた。私たちは、患者の気持ちを100%理解してあげることは非常に難しいが、心に寄り添うことはできるということをこの映画鑑賞を通して学ぶことができたと思う。
今回の映画は、認知症や、鬱の人が音楽療法に関する映画でした。認知症の人は、昔のことを思い出せない人や、ずっと下を見ていて楽しくなさそうな人がいたが、自分の好きな音楽を聴いて、昔のことを思い出すことができたり、記憶が思い出したことによって、楽しそうにしているのがとても良いなと思いました。歳を取るにつれて、音楽を聞かないから自分の懐かしい曲や、気に入っている曲を聞くと、気分が良くなったりすると思いました。介護施設などは、施設にいる人を外に出さないけど、鬱の人や、介護施設にいる人は、ただ生きているだけの生活をしている感じがして、生きづらそう、楽しくなさそうだと思いました。だから少し気分転換に外に出るのもいい対策だと思いました。理由としては私は適応障害だったその時に外に出た方がいいと精神科の先生に言われたからです。薬が100ドルで身体的には薬で賄えるが、精神的や心は薬では賄うことができない、だから音楽のイヤフォン?40 ドルで精神的や心は少し救われてるような気がする。
今回の授業では映画を鑑賞し、最初は正直、音楽を聴いても脳が活性化されることなんてないだろうって思ってました。しかし、実際に音楽を聴いて楽しそうにしているご老人の方々を見て音楽にはこのような素晴らしい力があるんだなと驚きました。さらに、インタビューの中でなかなか意見を聞いて貰えないと仰ってる方がいて、決められたことだけして行くのは自由がなく、苦しいし生きる希望がないと感じてしまいがちになります。だから、改めて本人の意見を聞き、できるだけ要望に応えながら寄り添うことが大切であることを再確認できた時間になりました。
私も音楽にはよく助けられている経験が多いですが、こうして認知症の患者が音楽療法によって記憶を戻している様子を映画を通して知り、音楽のもたらす力の壮大さを知ることができました
ただ人と話すことだけがコミュニーケーションだと思っていましたが、コミニュケーションというものは奥深いものだということに考え方が変わりました。
今回の映画を鑑賞して、まず、音楽の力はすごいと感じました。映画ででてきたうつろな老人の男性が、音楽を聴き、目を見開いてダンスをしたときはびっくりしました。また、歩行器を2年間使用していた女性が、音楽を聴いた途端に、歩行器無しでも歩きだしたこと、 人は生まれる前の細胞ができてから22日で鼓動ビートが始まり、そこから細胞分裂していき心臓ができる。産まれる前から音楽に触れ合っているんだと感じました。
『パーソナルソング』をみて、治療の方法は薬だけではないと改めて感じた。老いや病気を治すものではないが、過去の思い出を蘇らせ、いまをより良く豊かに過ごすことができる音楽の力は偉大だなと思った。あらゆる場所で音楽にあふれているほど、私たちの生活に欠かせないものである「音楽」が一つの治療法となり、効果を発揮する。音楽療法がもっと広まることを願うと同時に、資金面や人材面など多くの施設でプログラムの実施することは容易ではない現実問題もあることも考えなければならない。改めて社会を変えることはとても難しいと感じた。人はいずれ老いる、ケアを必要とする。他人事だと思わずに、向き合う必要があると思う。
今回の授業でパーソナル・ソングを見て思ったことは音楽の力は偉大だということだ。介護施設で10年以上暮らし、娘のことも忘れかけていた老人が昔お気に入りだった音楽を聴いた途端失った人格を取り戻したように活きいきし始めたのだ。音楽療法という言葉は聞いたことがあったが音楽の力だけでここまで変化するということを知ってとても驚いた。一部の障害者施設や高齢者施設では衣食住だけを取り入れ音楽やスポーツといった娯楽を一切取り入れない施設も存在する。生活がルーティーン化してしまうと人間性が失われてしまう。もっと日本の福祉施設でも音楽や映画を取り入れ人間性を大切にしていくべきだと感じた。
"音楽療法というのは知っているが、映像資料ほど絶大な効果を脳に与えることは初めて知り、驚愕した。音楽療法が普及しないのは、医療システムに問題があると映像内で男性が語っていた。映像資料を視聴し、音楽療法の効果を知った私はその意見に賛成したが、一方音楽療法が確立されてしまうと、現在の医療システムが崩壊する。病院も商売のため、薬が売れなくなる、売り上げが落ちるという懸念があるのだと考える。これらのことから、音楽療法が普及することは新しいシステムを作らなくてはならないと考えた。"
音楽の力ってすごいなと感じました。私のお母さんの祖母は認知症になって亡くなられましたが、歌だけは覚えていてすごく思い出のあるものでした。それが唯一の心通じるものなので映画を見て歌はすごいなと思いました。
"パーソナルソングをみて中年女性がビートルズを聴いた時の反応の早さに共感するものがありました。A Harddays Nightのイントロのギターで反応を示していて想い入れのある曲の断片を聴いただけで曲と聴いていたときの光景が一瞬で蘇る。あの感覚は年齢問わず誰しもが持っていることを感じました。音楽プレーヤーがあれば患者の脳に働きかけ心を取り戻す。精神的にも経済的にも効果的なのに医学的行為としてみなされないという理由で受け入れてもらえない現状に主人公が落ち込んでいるのを見て、固い考えやルールは見直すべきだと感じました
"今回は、パーソナルソングという2014年にアメリカで作成された映画を見ながら、高齢者の介護施設の歴史、実際の様子、薬による治療とは違った音楽療法などについて学びました。感じたことは、音楽療法によって認知症の高齢者の症状が大きく改善されたということにとても驚いたということです。好きな音楽や、昔好きだった懐かしいと感じる音楽を聴くことによって、感情が高ぶり、身体に刺激が与えられると同時に、一時的ではありますが、記憶、人格などが甦り、聴覚、視覚、自発性、運動能力などが活性化するということです。認知症については、私はこれまでいろいろ調べましたが、音楽を聴くことによって症状が回復する音楽療法は、日本ではまだ行われている施設が少ないせいか、全く見たことがありませんでした。しかし、人にはそれぞれ歴史があり、その歴史と音楽が結びついたのかもしれないと思いました。さらに、医者がどんなに100ドルもの高額の費用をかけて研究して認知症の治療薬を開発しても、どんなに介護の環境を良くしても、認知症患者を治療できなかったはずなのに、たった40ドルのミュージックプレイヤーを買って音楽を聴かせるだけで記憶や人格を取り戻せるなんて信じられないと思いました。また、人は若者や高齢者であろうと、外からの刺激が必要であり、音楽は言い換えると目覚めの芸術であるということに対しては、確かにそうであると思いました。"
映画を見て、コミュニケーションは、非言語的コミュニケーションという、言葉だけではないコミュニケーションの取り方があるのだと改めて感じました。音楽は誰でも楽しめるものであり、また、健常者だから、障害者だからで決めるのではなく一人の人間として接し、困ることがあったら助け合うことが大切だと感じました。
映画を視聴した感想としてまず、「音楽」というとは目覚めの芸術。の言葉に多彩な表し方があるのだと思いました。例えば認知症の人やうつ病を抱えた人であっても音楽を聴くことで過去のことを思い出したりします。また、リズムに乗って楽しむこともできるのだと思い音楽は幅広く誰にでも適応のできるものだと思いました。私自身も落ち込んだ際には音楽に沢山助けられてきたのでこの世の中で音楽はかけがえのない大切なものなんだと改めて実感しました。
今回の映画パーソナルソングを見て、音楽は認知症の方々の人間性を呼び覚まし、コミュニケーションを可能にすることが出来ることを理解した。人々の心の奥深くには、過去の思い出や記憶などが眠っており、音楽の力で心を揺さぶり、当時の情景や性格などを思い出すきっかけをつくることができることに驚いた。しかし、このような音楽療法は、医療行為には含まれず、あくまで、病院が処方する薬の補助としての役割であるため、ボランタリー組織がこの活動を支援していることがわかった。私は、このような治療法で回復する認知症患者を見て、たとえ医療的に認められないとしても、治療の選択肢も薬物以外に増やすべきであると思う。認知症患者の中には、決められた時間で行動し、自由を制限させるような施設での暮らしにより、生きがいを失い、心さえも失ってしまった人々がいるのではないかと考える。また、患者を支援する医療スタッフも患者の身体的なケア、つまり業務に追われ、患者の気持ちを考えて行動することが疎かになってしまっていた背景もあると考える。このような自発性や感情を失いやすい環境にあるため、外部からの音楽療法による支援(ミクロとしてのアプローチ)は、患者たちの心を揺さぶりかけ、本来の自分を呼び覚ますことができるため、非常に効果的だと感じた。
"今回の講義では、「パーソナルソング」という映画を鑑賞しました。この映画は、高齢者の心が閉ざされているのをどう解放するのかというような内容の映画でそのために「音楽」という力を借り心に語りかけるような描写がありました。音楽には癒しの効果があり、たくさんの高齢者の方たちが音楽をきいたことによって生き生きしていました。私も心を落ち着かせたい時は音楽を聴くのでその認識は年齢は関係ないことなのだと思いました。
また、最後の方には、音楽を使っての医療方法がアメリカにある施設に導入されるためにたくさんの方々の訴えや当事者の心の葛藤などが描写されており、音楽は社会をも変えるような感じで描写されていたので、これがマクロとしてのアプローチなのだなと思いました。"
自分は映像作品が好きなのでとても興味が出た映画でした。音楽の力により一時的に自分の記憶を思い出して昔の自分の話をする姿に凄い!と思うと同時に不思議に思いました。
小学校の時だったり、中学の時だったりというようにその時に聴いていた音楽を聴くとその頃のことを思い出すので音楽には不思議な力があるなとはわかっていたが、動画を見てアルツハイマーの人は認知症の人にも効果があることを見て感動した。音楽のちからはすごいと思った。
"その人にとって印象深い音楽によって、脳や感覚を刺激し、その時の記憶を呼び覚ますことが出来ることにはとても驚き、音楽の力にはとても感銘を受けた。自分の中で特に印象的だったのは、介護施設で暮らすことは、一部の人にとって、人としての尊厳とまではいかないが、今までの生活から失われるものが多く、孤独を感じる機会が多くなってしまうという事に改めて気づくことが出来た。私は介護等体験で、介護施設にお世話になった際に様々な人と話したが、そんな様子を感じられないほどに笑顔であったように感じていた。介護を受ける人々がもっと、楽しく暮らせるために自分たちが出来ることについて、考えていきたい。"
パーソナルソング(その人の好きな音楽)を見て、患者の閉ざされた心を開き本来の姿を取り戻すためには音楽療法が必要だが、医療システムに問題があり、音楽療法は医療行為として認められていないことや、音楽療法を全米に広げようと活動している人がいることを知りました。
今回と講義は、音楽の療法をテーマとした映画を鑑賞した。施設に入居している、あまりコミュニケーションが取れなくなってしまった人達が、音楽を聴くだけで、当時の記憶が蘇って人が変わったように、昔の思い出や、自分を表現するようになった。自分も、去年のディサービスの実習で、同じようなことを体験した。その実習に行った施設では、送り迎えを待っている時間に演歌や、古い曲を流すのだが、その時間は、普段から明るくて、よくお話する人はもちろん、寡黙で、あまりお話しない人も、みんながリズムに合わせて、手を叩き、口ずさんでいた。その光景を見て、音楽って大事なんだなと思った。ラジオ体操も、ある意味同じような効果で、みんなで踊っていた。なので、近年は、割と音楽の力にお世話になっている施設は多いのではないかなと感じた。しかし、そういった効果があることは、一般的には理解されてはいないのかなと同時に感じた。自宅の介護で認知症の家族にストレスを抱えてしまい、限界に達して最悪の結果を迎えてしまう話は珍しくない。そういったことになる前に、色々な機関が連携して、公的なサポートを積極的にするのは勿論なのだが、身近で、簡単な音楽の力に頼ってもらうのも1つだと思う。それを一般的に、広めて、理解してもらうのも自分たちの仕事だと思うし、個人に広めるのではなくて、もっと広いところに向けて発信する必要があるのかなと感じた。
音楽の力を感じました。音楽が昔の記憶を引っ張り出す、楽しい思い出を作ることが出来るものと知りました。
パーソナルソングを視聴して印象に残ったのは、音楽を聴いたときに表情が明るくなったことです。音楽を聴く前は無表情や無気力だった人たちが音楽を聴いた瞬間に記憶がよみがえり当時のことを話したり、声を出して歌ったり、リズムに合わせて踊ったり様々な反応を見せ表現する姿は聴く前と比べると別人のようでした。
"今回は、残念ながらゲストスピーカーさんが体調不良のため意思疎通とケアに関連した「パーソナルソング」という映画を見た。音楽をケアの一環として利用し、実際にケアを行っている姿を見て、非常に興味を持ちました。音楽だけでケアが成り立つとは思っていませんが、音楽を通すことで利用者とのコミュニケーションがより円滑に行うことができるようになるし、音楽という共通の話題もできるので、利用者の人も、とても話しやすい空気を作りやすくなると思った。"
"認知症の人たちに懐かしの音楽を聴かすと、みんなが笑顔になり、昔の記憶を思い出したかのようになっていて、昨日のことや周りなことを覚えていなくても、思い出の音楽は思い出せると言うことに驚きました。コミュニケーションをとる、など様々な方法でケアはありますが音楽を聞かすと言うことは初めて知りました。"
今回、ビデオを視聴してパーソナルソングというものがどれほど重要な意味を成すのかを深く学ぶことができた。パーソナルソングには、刺激を与えるだけでなく心を呼び覚ます効果があり、施設内の認知症の人たちも音楽を聴くことで少しずつ過去のことを思い出している姿を見て、音楽の効果は絶大なものだと実感した。さらに音楽を聴いた人たちは、自分の感情をさらけ出していた。悲しみ泣く人もいれば、楽しそうに歌う人もいるし、嬉しそうに笑う人もいて、明らかに音楽を聴く前と聞いた後では天と地ほどの差があると言えるほどに心の変化が見られた。その中でも課題があり、それが普及しない理由として医療業務ではないということが挙げられていた。私は医療とは、病気や症状を治すことだけではないと思う。どんなに声が出せずに自分の意思を自力で伝えられない人がいても必ず心はあり、その心は声に出せずとも、表情にでるであろう。これからの社会では、医療という言葉に「心」を考えていく必要があると思う。
"音楽の力が偉大だと感じる点は普段からよく見かけるのですが、不安を抱えた人や、その不安が爆発してしまった人が音楽で心を落ち着けたり気分が上がっているのを見て、これこそが音楽の最たる長所だと感じました。音楽を使った療法も数多くあり、その点についても強い興味が出てきました。"
第4回 「ケアとは何か」第1章後半を読んで
本を読むまで、私は、障がいを持った人や高齢者の気持ちにちゃんと向き合っていませんでした。この人は先天性の疾患があるからおそらくこの程度しか話したり動いたりすることが出来ないのだろう。このおばあさんは私の声が聞こえていない様だしある程度話を合わせておけばいいだろう。というような予測を立てて話すだけでした。ですが、今回の授業で、相手の気持ちを完全に理解することは出来なくても相手の要望を聞くことができることを知って、会話に壁を作らない話し方をすべきだと思いました。勝手で個人的な先入観を取り去って、どんな人でも相手は自分と同じ感情を持った人間であることを意識しなければいけないと強く感じました。
"今日の授業で、相手と関わる時には自分には知識があるからといって先入観のみで相手を判断するのではなく相手を中心にしたコミュニケーションを通じて、こちらの都合ではなく相手の意思を尊重してケアの方法を考えていくことがとても大切だとわかりました。人員不足や自分に余裕がない時だと相手のことを第一に考えることができなくなってしまうので、余裕を持って相手だけでなく周りの人とのコミュニュケーションをとり相手のことを第一に考えてケアをしていけるようにしたいです。
今日は「ケアとは何か」の第3・4章について学びました。相手の気持ちを理解することは難しいということを知ってから、そのことしか頭になかったので、相手の声に耳を傾けることや直接聞くことが大切だと知ることが出来ました。試行錯誤する過程がケアそのものだと知ることが出来ました。
"コミュニケーションを阻む要因についてですが、英語の先生の奥さんが癌らしく、病院に行ったりしているそうです。色々な施設を回っているそうですが、国立癌センターに行ったらしいですが、全然コミュニケーションをとってくれなかったそうです。今回のところだとAに当てはまるのかなと思います。処置など、専門的なことだけでなく、心についても対応することが大切なのではないかと思いました。
また、ダウン症4人のシェアハウス(新井注記:ダウン症ではないです。言葉を正確に理解し使いましょう)
の取り組みはとても良いと思いました。地域の方と関わることで周りの認識が変わること、元看護師の方がおっしゃっていた「ひかりちゃんたちの人生の流れの中に関わらせてもらっている感じだから『もっと一緒にいたいな』って自然に思う」という言葉が自然で福祉枠を超えた人の美しさなのではないかと思いました。"
今回は授業内での質問に対しての答えが私が本を読んでみて感じたことや考えたこととよく似ていたため嬉しかった。 何度も繰り返して読まないと感じているよりも内容を理解して自分の考えを話すのは難しいのだと感じた。
リハビリテーションは回復に向けてやっていくものだと今まで思っていましたが、権利、名誉、尊厳の回復だと知り、驚きました。やまゆり園の事件や相模原の施設の事件を聞き、このようなことが二度と起こらないと願うと同時に、それをなくすため、どうしていったら良いのか考えていくことが必要だと思いました。また、相手のことを理解したつもりになるのではなく、相手の話をしっかり聞き反映していくことが大切だと分かりました。医療器械に頼り、コミュニケーションを諦めるのではなく、コミュニケーションを通し、意思疎通がとれるよう努力していくことが良い関係性を作ることに繋がってくるのではないかと考えました。動画を見て、関わりの大切さが分かり、コミュニケーションをとっていくことがより良く過ごすために必要であり、また、それは双方の努力が必須だと思いました。相手と向き合い、関わっていきたいと思います。
支援していく上で、ただ話を聞くだけでなく、まずはその人と関わっていこうと思えました。福祉の用語も、知らない用語ばかりだったので、知識を増やしていきたいです。
"環境との関わりの中で生きてる人々はみんなで支え合って生きているとわかった。どの仕事もなくてはならなくてどれかがかけると誰かがそれを補わなければいけなくなると福祉は生きる中でとても大切だとわかった。最初は福祉のことをよく分からなかったが福祉は何事にも関与していて、人と関わる上で大切とわかった。また、相手の立場に立って、考えて自分がされたら嫌なことをしないなど、相手の立場になり、考えることも大切だと思った"
ただ相手の立場に立って考えるだけでは、偏見や固定概念が入ってしまい、本当の支援には繋がらないと気づきました。相手との関わりを持つことによって見えてくるものや分かるものがあるなと思いました。
「相手の位置に立つ」「相手の立場に立つ」ということが福祉の現場ではとても大事だと分かった。当事者の立場に立ち、直接当事者に耳を傾けることによって、相手が何を感じ考えているのかを理解するということが大切だと学ぶことが出来た。
ケアには、コミュニケーションが大切で、それがないとケアが必要な人が言いたいことが言い出せずないということが起こってしまうので、自分が福祉関連の仕事についたら、コミュニケーションを大切にしていこうと学びました。
児童相談所の管轄や、児童相談所に送られる子供達など、相手の立場になって考えるということについてよく理解することが出来た。
本を読んでいない人と読んでいる人の回答に違いが見えました。自分ももっと考えながら読むようにしようと思えました。
様々な事件や問題と環境の関わりが理解できた。相手の立場に立つということは相手の声を聞き支援をして初めて成り立つものなんだと知った。当事者に直接聞くこと自体がケアになるということも初めてわかった。障害者が19人刺された事件などの他にもこれらに関連する事件はあるのか調べてみたい。
動画を見て思ったのは、世話人というボランティアの制度がありそれを機に地域の人と関わることもできるので、いいと思った。世話人の人たちが、急遽きてくれたりとしているのを見て、ボランティアの人たちの関係性もとてもいいからこそできるものだと思い、ものすごくいいと思った。
人との支援は、相手に寄り添うことよりも、相手と対話する。相手の気持ちを考えることが大切だと学んだ。やはり読書だけだと、本の内容をしっかりと覚えることができないので、パソコンに学んだことを章ごとに分けたいと思う。
今回の授業を受けて相手の立場にたつことで知ったかぶりをするのではなく時には相手に直接聞いてみるということの重要性を学んだ。またこの授業の中で読んでいる本を1度読んでいるが周りの意見を聞きまだ読み足りないなと感じたの2回3回と読み1回目ではよみとれなかった内容を把握できるようにしたい。
自分が今まで思っていたことは違ったんだなわかった。そして、『支援』は『憐れみ』じゃないということを改めて知った。勝手に決めつけるのではなく、まずは訊くのが大切だ。コミュケーションを疎かにしたケアはケアではない。コミュニケーションの大切さ、難しさを授業のたびに感じている。
"本を読んでまだ理解出来てないことがわかった。高齢者にラベルを貼るのは簡単。その人のことを知ってみると本当はこういう心理状況だったということがあり、自分がバカバカしく見える。人間の生きるということは深い意味がある。障害者のシェアハウスのお手伝いさんをやってみると考えさせらることが多い"
授業で要約されたものと異なるところがあった。改めて読むとわからない単語もあったので確認したいと思う。障害者と健常者は同じ人間であって尊い命だと言うことを忘れてはいけないと感じた。
"わからない言葉が多かった。しっかりと調べてこないと授業についていく事はできない。わかった気になってはいけない。"
本を読んで、こちら側は善意の気持ちでやっていることでも、障害者の方からしたら不便に思っていたりすることもあるということが分かりました。
私は3年生の時に障害者支援施設で実習をさせていただいたのですが、今回の授業を聞いて、利用者さんのことをよく知り、まず関わることが大切だと改めて感じた
"相手の立場になって考えるためには、まず相手の声を直接聞くことが最初の段階で大事だなということがこの講義で理解することが出来た。"
"相模原のやまゆり園の事件は色んな授業で取り上げられているが酷い事件だなと改めて思った。動画で見たように看護師の資格を持ってる人がいることで安心できるなと思った。障害者側が閉ざしてるのではなくこちらが閉ざしてるという言葉があって確かにそうだなと感じた。"
ビデオで言っていた、生きるって深いなって思うっていうのを授業を通して色々知ることが出来ました。健常者だから、障害者だからで決めるのではなく一人の人間として接し、困ることがあったら助け合うことが大切だと感じました。まずは声をかけて、コミュニケーションを図ってみようと思ういい機会になりました。「相手と向き合う姿勢」というのが相手だけでなく、自分も幸せになるように務めていきたいと思いました。思うだけでなく、行動していきたいと思いました
"前回は自分が本を読めてないことを実感したので、今回は何度か読み直しながら要約し、分からない単語を調べていきました。自分が今まで捉えていたものが本では違う言い方をされていて、「こういう考え方か」と納得するところもあれば、「私はこう思う」と感じたところもありました。主観的になりすぎるとよくないと思うので、客観的に内容を捉えていけるようにしたいです。分かった気になるだけではなく、相手としっかり関わることを意識したいです。プリズンサークルの予告を見た時に、個人的にすごく気になったので機会があれば観たいです。"
"相手の立場になって考えることも大切だけど、まずは相手と関わってみてというのがもっと大切ということが分かりました。健常者が閉ざすのではなく、こちらも理解を深められるように壁を作らないようにしたいです"
障害がある人のお世話をする人が動画の中で人生に関わらさせてもらえているとコメントしていてすごいなと思った。まずは自分たちから関わっていくことが大切だと知った。
"実際に私の祖父がデイサービスを利用していたが認知症の防止のために様々なことをしたりボール遊びなどをすると聞いて交友関係を築いて会話したり孤独な時間がなく安心して利用できる支援だと思った"
"相手を理解したと思い込むより、しっかりと会話をし、コミュニケーションをとる努力をしなければいけないと感じた。シェアハウスがあることを初めて知った。様々な人の協力があって、関わりがあって、成り立っているのだなと動画を見て思った。健常者が閉ざしている壁を開くことということはとてもいい言葉だなと思った。分かった気になっただけでなく、関わっていきたい。"
相手を知るためにはどういうひとかを考えるのではなくしっかり話しかけて自分から関わるのいうのが一番大切だとわかった。こちら側から閉ざさないことを大事にしたい。
最後の施設の動画で、おばさんが長く生きていくことが幸せだけじゃない、障害者がいても可哀想と感じなくなったと言ってて、素晴らしい人達だなと見習いました。支援の体制も一人一人がその人とコミュニケーションを測ってて素晴らしいと感じました。
「はたけのいえ」をみて、有償ボランティアや看護師など様々な人々が協力して家に出入りをして 4人の人を支える ことで、その4人の方も 楽しく生活を送れるのだなと 感じました。最後の言葉には 確かにと 納得させられました。障害者を抱える人達に対して健常者である我々は 心を閉ざして しまうことで、自分の生活圏の中から排除しようとしてしまうところがあると感じ、改めて今日学んだ我々から 、まずは 当事者の方の立ち位置にたって話したり、話を聞いて 考えてみることが大事だとわかった。
相手を見るのではなく、データばかりを見ているという趣旨の内容の部分を読んで、とても共感した。それだと相手の為にはならないし、むしろ逆効果だと思った。やはり、実際に話をして理解することが大事なんだなと感じた
今回の授業を受けて動画の中で障害を持っている方々に障害があるのではなくて健常者側に閉ざしているバリアなどがあるのではないかという言葉に考えさせられた
本の内容についてだんだん理解が深まってきているので、もっと深く読んでいきたいと思います。
今日の授業では支援などを行う上で、こちらが思っていることだけを押し付けるのではなく、相手とコミュニケーションを取りながら相手の声に耳を傾ける事がたいせつということがわかりました。
本では障害者からの「サイン」と言っていたが、今日見た動画では「射してくる光」と話していた。どちらも素敵な表現だと感じた。「サイン」は受け取る側に視点が当てられていて、「射してくる光」は障害者の方にどちらかと視点が向けられているように感じた。
最後に見た動画ではたけのような障がいのある方のための場所があるのだなと勉強になりました。障がいのある方と健全な方と違って見られてしまうこともあると思いますが、理解しあっていくことができればいいと思いました。
この授業を通じて私は学んだ、多くの知らない単語、生活の中に少ない単語が現れて、これは私に社会福祉に対して更に深い認識を持って、今の社会の大環境はまだ1つの父権社会で、階級ははっきりしているので、男女平等階級の緩和を実現するのはまだ時間で、患者の当事者の世話をする時、相手の角度に立って考えるべきで、このようにコミュニケーションするのは更に容易になることができます。
わかったつもりのものが多かったので、しっかり調べて理解することの大切さがわかった。
"罪を犯した人たちのことを周りから見るとその本人が悪いと思い込みがちですが、社会復帰促進センターの動画を見て、当事者にも考えや悩みなどがあり、今日の講義でやったように相手の声を聴き、その人の立場になって考えることも重要なケアの1つなのだなと思いました。講義を聞いて、罪を犯した人だけでなく、ケアが必要な人々に対して先入観を持たず、多面的な視点から心の声を聴けるように今後の学びに取り組んでいきたいと考えています。"
3年生の自分でもわからない言葉が多く、何度も聞いたことのある言葉でも改めて聞かれるとわからなかったことが多かったので本をしっかり読むようにしたいと思います。
今日の講義で、相手の立場に立つというのは自分の勝手な憶測で物事を決めたり偏見を持つのではなく、直接その人と関わりコミュニケーションをとることが大事だと感じました。
今回の講義でケアの現場では、相手の位置にたってコミュニケーションをとることが重要だと理解しました。想像するだけでなく直接聞いてみることもケアになるのだと実感しました。
大学で学ぶような知識がないと、マイクロアグレッションを起こしてしまったりする。信頼関係を築くためにもたくさんのことを知っておく必要がある。人と関わる上で知識は必ず必要なものだし、学んでいること全てこの先の人生で活きてくると思っているが、やはり個人個人思っていることや環境などはそれぞれだし、相手のことを100%分かるはずはないのでハッキリと質問を投げかけることであったり、対話をしていくことで相手の考えていることが少しなりとも理解できたりする。そのためにお互いに伝える努力・受け取る努力はしないといけないなと思う。障害の有無に関わらず人と関わることにおいて大切なことであると感じている。
"さまざまな一歩踏み出し」て、関りを持とうとし、場を作り、コミュニケーショ ンを取ろうと努力し続けないと、関係性は生まれないということが深くわかり関係性などによって生きる意味などが感じとれた努力によって、見えてくるもの、わかってくるものがあり今回の授業を通してコミュニティケーションは怠ってはならないと思ったまた、一方で知識だけを武 器にせず、「相手と向き合う姿勢」を磨くことがとても大切だと思った"
自分から行動する。自分から調べる。と自分で努力をし続けないと新しい関係は生まれない、そして学ぶことが出来ないので勇気を出すということは大切だと改めて思いました。コミュニケーションを怠ることで周りとこ関係性が薄れ、社会福祉としての仕事がなくなって言ってしまうので自分から気にかけることもひとつの大事な仕事だと思いました。
今日は第4回の授業でした。今回も知らない言葉が多くてまだ1年ですが知らないことばっかりだと思い知らされました。本の相手の立場に立つと言うことは?という問いに相手と実際に話を聞いて関わりを持つことと答えました。相手の立場になってみて想像することももちろん大切だけどそう簡単なことではありません。1番わかりやすくはやいのは実際に関わることだと思います。話すことで違う視点も見えてくると思います。最後の動画で「自然と一緒にいたいと思う」と言っていた場面で授業でやった考え方と一緒だと気が付きました!
今回の授業では動画を見て福祉をするのにもまず相手の要望を聞いて答えを出さないといけないことがよくわかった。動く前に相手の意見を聞いておかないとあとで後悔することになることがわかった。
"最後の動画で、長く生きられないことに可哀想とは思わないと言っているシーンがありました。人は誰もが長生きする物ではなくその人によって寿命があり普通の事ということを知りました。また、障害者は子供が産めなくなるようにされる聞いて驚きました。かなり昔の話ではなく意外と近い時の話なので同じ人間でも惨いことをするのだなって思いました。私は昔、ドイツのナチスについてよく調べてました。ユダヤ人を収容するアウシュヴィッツ強制収容所に隔離しガス室で殺害するという歴史があったことに本当に驚きました、同じような歴史はまた繰り返すことが無いことを祈りたいです。"
今日の授業ではコミュニケーションについて学ぶことができました。自分が知ったかぶっているだけではなく、まずは自分から声を聴いたりし、自ら関わってみるということが大切だと感じました。また、途中で流れた犯罪者を更生する施設などの映像を見て、犯罪を犯した人でも人それぞれ背景があり、その中で社会に戻るために施設で更生するために学んでいるのだと思い、感動しました。
わからない言葉を調べて行く中で、特にリハビリテーションの本当の意味に驚いた。リハビリテーションは、怪我や病気の人が徐々に社会復帰するための活動だと思っていたが、再び人間に相応しい状態になること、ということを知れた。
社会福祉、ケア対象の見方についての普遍性と多様性についてやICFの視点からどうみてるのかなど詳しく知ることができました。
"相手の位置に立つということは、まず当事者に意向を訊ねてみることや場を作りコミニュケーションをするという努力をする重要であり、相手と向き合う姿勢が大切だなと思いました。"
"先生に指された時、緊張して何も喋れなかった。最後の動画でも言われてたが、障害者を殺人するっていう事件がとても印象に残った。なぜ、殺す必要があったのかなって不思議に思った。楽しいとかそういう感情があったなら、なるほどってなるけど、殺す動機がなにかほかの理由なら気になるなと思いました。
"今回の講義の内容は1番興味深いものでした。私は児童虐待や心理ケアに関心を持っているため、とても勉強になりました。講義の中で出てきたロールプレイや刑務所のドキュメンタリー映画の映像を見て、「ケーキの切れない非行少年たち」という本を思い出しました。罪を犯してしまった人たちの心情や刑務所で行われる訓練によって更生している姿を見て、もっと自分でも調べてみたいという意欲をもてました。また、最後に見たビデオも印象的で、障害を持つ方々に対して真摯に向き合っている人達の姿を見て、とても感動しました。自分の目ざしている将来に結びつけることが出来る講義内容でした。
第1章の3.4を学んだ訳ですが、1.2の内容とも関係があったので、全体を通してケアとはなにかという主体の元繋がっていて、色々な視点から深く考えさせられるなと感じました。また、プリズン・サークルについて興味を持ったのですが、映画の上映会はもう終わっていること、現場まで遠いことを考慮した上で、書籍で出版されているという情報があったため、見つけた時に購入しようか考えています。
"自治体と自治会の違いとして自治体は都道府県や市区町村などの公的な行政機関であり法的権限を持っている団体であるのに対し、自治会は法的権限のない任意の団体であるということを学んだ。相手からのサインをキャッチするにはどうすれば良いかという問いで、人は相手の経験をそれとなく感じ取り、相手の立場に立とうとする性向をもっている。しかし、相手の立場になって気持ちを考えるというのには限界があり、場合によっては読み取りの手違いで患者さんに対して間違った対応をしてしまうこともあると思う。そのため、「ケアとは何か」のP29に示されているようにまずは当事者に直接訊いてみることが大切で、当事者の話に耳を傾ける行為がをすることで相手が何を感じ、何を考えているのかを理解することができる。またこのふるまいが、人間の持つ相手の立場に立とうとする性向の本来あるべき形であると考えた。"
"私たちが高齢者になる時には3人に一人が認知症になると知り驚きました。認知症に効く薬が開発されたらいいなと思いました。今回の授業で学んだのとは。障害者や高齢者などの当事者とのコミュニケーションをとるということです。この先もっと専門的なことを学んで行く上でも最初に今日学んだ事を大前提とし、勉強していきたいです。動画で最後に言っていた、こちらから壁を作らないということはとても大切な事だと思いました。"
"自分から行動して関わりを持とうとしないと関係性は生まれないし、変わらないのだなと改めて思った。今までわたしは人と関わるときに話しかけてもらったりしないと喋ることが苦手だったけど、今日の授業を受けて自分から関わりを持っていこうと思うようになった。相手との向かい方、言葉遣いとか接し方も含めてもう一度自分を見つめ直し変えていきたいと考える。
"ケアをする際、最も大切なことは本人の意見を優先することだと学んだ。虐待を受けた子ども達は親から離されるケースが多いが、子ども本人の意見を聞き親と暮らすのか、別れて暮らすのかを判断することが大切だと思った。
"実際に施設で働いている方たちの映像を見て、自分たち(健全者)たちが壁を作ってしまっているという言葉にとても印象を受けた。気をつけているつもりでも実際行動にうつっていたり顔に出てしまっていたりしているのではないか、嫌な気持ちにさせてしまっているのではないかと相手の立場にたち考えるべきだ。
障害者のシェアハウス「はたけのいえ」の動画を視聴して、近所の方も世話人となって明け方まで寄り添い、ただ家事だけをするのではなく、「声かけ」を通して一人ひとりに向き合う姿が印象に残った。また、今日の授業で「せん妄や不眠に関する要因」を考えた時に、新しい発見があった。(43p10行目〜)「病院で入院している時は夜になるとせん妄が出てしまうが、家に帰るとぐっすり眠れ、せん妄も一度も起きないで過ごせた。食欲がまし、日ごとに元気になった。」この違いとは何かを考えた時に、やはりケアをする側にコミュニケーションを取ろうとする努力があるかどうかであると考える。「声は届かず、一方的な指示を聞き、されるままでしかない。出せない気持ちが満たされなさがどんどん溜まる。それが夜になると不安に変わり…」(44p1行目〜)この文からもケアする側がコミュニケーションを取ろうとする努力を怠っていたことが分かる。せん妄や不眠がケア側の努力によって改善できることに驚いた。これから専門知識を付けていく中でその知識を武器に一方的に決めつけたり、物事を考えるのでは無く、「相手と向き合う姿勢」を磨くことを大切にしたい。
知らない単語を全部調べたと思っていたけど、いざ授業をしてみて、先生がわからない単語の意味を聞いていくたびに、わからない単語がたくさん出てきました。本を読むときは、完全に言葉の意味を知っていてよんでいきたいとおもった。一度読んだだけだと本の内容が入ってこなかったり、筆者の言いたいことがわかんなかったりするので、ちゃんと理解できるようにしていきたいです。
"相手の立場に立つときには、一般的には相手のことを考えるという意見がよく出てきていて、今回の授業の中でもそういう意見が見受けられました。けれど、相手との関わりを大切にし、相手の話を聞いて寄り添うことのほうが大切であり、先入観出判断してはいけないのだと改めて感じることができました。「はたけのいえ」では最後に、「健常者が(障害者に対して心を)閉ざしているのでは」という趣旨の話があり、本当にそのとおりだと思いました。ここからどんなふうにしたら壁をどんどん薄くしていけるかも考えていきたいなと思いました。"
津久井やまゆり園の事件は小学生の時にニュースで見て衝撃を受けたことをよく覚えていて言葉を持たない人間はいないべきだと加害者が言っていたのを聞いて当時は介護士側はそう思ってしまっても仕方ないのかなと思っていましたが本を読んで言葉を持たなくてもコミュニケーションの取り方は山ほどあるということを知り加害者は被害者側ときちんとコミュニケーションを取ろうとする努力を果たしてきちんとしたのかと本を読んで疑問に思いました。
"障害者にも人権があり、よりフォーマルな社会を作るべきだと思いました。ケアとは何か、を熟読してこようと思いました。"
"今日の授業で「相手の位置に立つことの出発点として筆者はどのようなことをすることを提案していますか」という問いでは、皆んな「相手の気持ちを考える」ということを言っていたけれど、それと「相手の声を聴くことが大事」ということを筆者は言っていて深く考えさせられました。
また、児童相談所という言葉はよく聞くけれど、児童が困ったときに相談できる場所だと自分なりに解釈をしていたので、今回の授業で、子供の心や体のこと、家庭や学校での問題などについて、子どもが明るく健やかに成長していけるようお手伝いをする相談場所だということを学べて良かったです。"
今回の授業であった、まず相手の事を考えるより話をしてみるというのはとても共感出来た話でした。自分は兄は知的障害を持っていて過去に特別支援学校に通っていたので、自分は何度も障害を持っている人と関わることがありました。当時は相手の気持ちはパッと見ただけじゃ分からなくても話しかけてみると意外に完璧とはいかなくても相手の感情が読み取れたと思う事が多かったので当時からまず話しかけてみるというのは意識していたことでしたし、今回の授業で改めて意識していかなくてはいけないなと思いました。
"今日の授業では、単語の意味が私の思っていたものと違いがあり、まだまだ知識が足りないと改めて思いました。(リハビリテーション)人との関わりは、自らが一歩歩みだし、関わりを持とうとする努力をしないと生まれてこないこと、また相手の位置にたち、直接きくことが非常に重要だとわかりました。
"今回の講義や本の内容で私が印象に残ったのは、「相手の立場に立つこと」の実践として、相手に尋ねてみるという方法です。これは非常に当たり前のことでありながら、パターナリズムや先入観を持って接してしまうと、途端に難しくなってしまうことを講義や本を通して学ぶことができました。また、福祉における想像するだけではなく実践することの大切さを忘れずに、これからの福祉の講義や実習に活かしたいです。
今回の講義では主に当事者との意思疎通について学んだけど、ケアラーが一番に大事にすることは当事者とのコミュニケーションを諦めず、まずは実際に話してみる、コンタクトすることが大事ということを学びました。今日まで様々な当事者に関する事件や旧優生保護法など政府の行動などがあったが、共通して言えることは、「しっかりと当事者と向き合っていない」ことだと思います。ただ向き合うだけではなくて本にもあったように「一・五人称」になってより近く、より同じ目線に立つことによって壁を無くしていく取り組みを自分も将来考えられるようになりたいし、今の世の中で一番必要なことではないかと思います。
"今回は念入りに読んできたので前回と比べて驚くほど内容の理解力が変わった。聞いた事の単語でも意味を間違って捉えているものがあったので今回学んで知ったかぶりしようよ思う。認知症のグラフを見てなぜ高齢者に占める割合が減っているのか気になった。高齢者の割合は年々増加しているので若い世代でも認知症が増えているといること??相手の立場になって考えるという言葉は沢山聞いてきたが、そのためには相手と直接関わること、声を聞くということに繋がるという考えは今までしてこなかったが、考えてみたらその通りだった。簡単に思い込みにせずに相手の考えを相手から聞いてみるというのは大切な事だと知った。"
相手の立場に立って考えるということは相手の声に耳を傾けることなんだと知った。これまでの自分は、自分自身の価値観や先入観だけで物事を判断していたが、これからは相手の声に耳を傾け、客観的にみて、今相手にどんな言葉をかけたら嬉しいか、逆にどんな言葉をかけたら追い込んでしまうかを考えて行動していこうと思う。
相手の位置に立つというところで子供の声を聴かずに支援方針を決定してしっまったら、それは子供の立場に立って支援を考えたことにはならない。というのを見て、人の話を聞かず物事を決めてしまった身体的拘束に近いのでは?と考えました。たとえ保護するのが最善だとしても親と一緒がいいと言ったら保護を強制することは子供の考えに反することだから、支援というのは難しいなと思いました。
相手の位置に立つというとこれまでは相手の気持ちを考えていましたが、意思疎通を図る行為、相手の話に耳を傾ける行為そのものが相手の位置に立つということがこの授業を通して分かりました。
"ケアによる支援団体があることを知った。自分の恣意的な価値観のものさしで弱い立場や強い立場を測るのではなく、また社会的に弱い立場の人たちをどのように支えていくことが必要なのかを考えるようになりました。"
自分なりに本をよく読んでいたつもりでしたが、分からないワードを見落としてしまったり、内容をしっかり把握出来ていないところがありました。今以上によく読んで次回以降の講義に活かしたいです。また、政令指定都市は知らない所がほとんどだったので、知っておく必要があるとわかりました。
後半部分の「相手の位置に立つ」という項目を読んで、相手の位置に立つということは、共感や想像力ではなく、声掛けという具体的な身振りとして立ち現れるということであり、相手の声を聴くことに直結してくるという点が理解できた。このように意思疎通を図ろうとする姿勢そのものがけあとなることも、自分がもしケアされる側であれば自分のことを理解してくれようとしている姿勢が自分にはありがたく感じると思うからだ。
病院、障害者施設、保育園など様々な場所で、やはりコミュニケーションが困難な状況が起きることがあると思うが、その中で「相手と向き合う姿勢」の重要性を強く感じることができた。また、技術が進歩し、患者が機械を用いてコミュニケーションの可能性を広げることが可能でも、ケアラーが機械を頼りにするよりもケアラーが直接声掛けなどのコミュニケーションをとるほうが関係性を広げることができると感じた。勝手に閉ざしてしまっているのはこっち側であり、全ての者が同じ人間であること、人権についても考えながらこの講義を通して学ぶことができた。
リハビリテーションなど言葉のの意味について明確な説明が出来る自信が無い状態だったので、改めて予習の際に言葉の意味をこまめに調べながら進めたいと思いました。
自分の分からない言葉やみんなの分からない言葉が重なるところが多かった。私の祖父も認知症になっており、私のことが分からなくなったり、同じことを繰り返し話したりしていて、うんざりしてしまうこともあるが、しっかりと向き合って行かなければいけないと思った。
コミュニケーションや意思疎通の図り方は、言葉だけではないことを改めて感じました。言葉では上手くコミュニケーションが取れなくても、意思疎通をする努力、相手の声に耳を傾けることが大切である。そのために、関わることが必要である。関わることで見えてくることを読み取れるよう、人との関わりを大切にしていきたい。ケアを必要とする相手の痛みや苦痛がわからないからこそ、相手に寄り添うべきであると思った。
"今日は、難しい言葉たくさんあり本を読んでも理解するのがとても難しかったです。人には、たくさんの人が障害や病気を持ってる人がいる。アドボカシーでは利用者患者や家族子どもに権利の制限から守るための援助活動をし、人を守っていると思いました。今は、たくさんの高齢者がディサービス、リハビリテーションがあり、生活保護をおこなっていると思いました。認知症もグラフを見るとだんだん増えているように見えました。私たちに、できることをたくさん増やしていきたいと思いました。福祉には、コミュニケーションをとることが大切であり、コミニュケーションをとることで高齢者や障害者など相手と向き合うことが大切だと思いました。もう一回しっかり本を読んで今日学んだことをしっかり理解していくことが大切だと思いました。"
講義の中で出てきた単語も、聞いたことがあるだけで意味を知らないものたくさんあったので意味をきちんと理解できてよかったです。
"今日の最後に見たYouTubeのシェアハウスが1番印象に残りました。重度の障害者の方でシェアハウスなんて考えもしなかったから興味深かったです。また、お手伝いさんは、交代制で夜勤もあったりなど大変なんだろうなと勝手に決めつけていました。しかし、お手伝いさんは障害者の方から学ぶことがあったり、「大変だと思ったことは無い」「やってあげたいと思う」などの言葉を話していました。そこから勝手に決めつけることは良くないな、まずは相手の事を知ろうとするアクションやコミュニケーションが大事なんだなと思いました。まだまだ、この様なシェアハウスがある事は有名ではないし世間的に知られている訳ではないのでもっと色んな人に知ってもらえるような活動や声掛けが必要だなと思いました。"
今回の授業で津久井やまゆり園で入所者19人が殺害された事件を思い出しました。初めてその事件をニュースで見たときは、「19人が殺された」という情報だけが問題だと思っていたが、今は根本的に日本という国自体が福祉的な思想が浅いのではないかと感じた。世界から見た日本人は優しい、怒らないといった穏やかなイメージを持たれがちだが、実際は「障害を持っている人や高齢者の方の序列は下の方」といった見えない差別をしている人が多いのではないか。そもそも障害者や高齢者に対して偏見や恨みを持っている人が介護職員など福祉の現場に出るようなことがあってもいいのか。高齢化によって介護職員の人手不足問題が起こっていることは十分に承知だが、実習中や学校に通っている段階で介護職員に向いている、向いていないといった細かい選別を教員が行うべきだと感じた。また、近年多様性といった言葉を耳にする機会が増えたことにより障害者や高齢者に対する差別や偏見を少しずつ減らすべきだと思った。
"今回は、この授業で教科書として使用している「ケアとは何か:看護・福祉で大事なこと」の「相手の位置に立つ」と「コミュニケーションを阻む要因」のテーマにある倫理的・非倫理的、アドボカシー、身体拘束、リハビリテーション、デイサービス、認知症、せん妄、サバイバー、アルコホーリクス・アノニマス、グループワーク、ロールプレイ、パターナリスティック、ヒエラルキー、拘泥、ペインスケール、バイアスなどの意味や、相手の位置に立つこと、コミュニケーションを阻む要因、認知症における高齢者のせん妄や不眠に関する要因、当事者とのコミュニケーションを取ろうとする努力をあきらめることと、身体拘束などの人権侵害とは連続している事象であることなどを学びました。
思ったことは、2つあります。1つ目は、認知症に関することで、認知症は脳萎縮などの障害により記憶力や判断力が低下する状態で、授業資料にある認知症の人の将来推計を見ると、高齢者社会が進むとは言え、今から11年前の2012年から37年後の2060年まで下がることなく、上昇していくということに驚きました。しかし、37年後となると、医療技術は大いに発展しているため、認知症を防ぐ、または、治すための治療薬が完成しているかもしれないと私は信じたいと考えます。また、筆者が考える認知症における高齢者のせん妄や不眠に関する要因については、私は認知症に関して身近にもいて興味があったため、患者の思いや心の動きを読んで確かにその通りだなと思いました。
2つ目は、筆者が考えるコミュニケーションを阻む要因についてのことで、医療や福祉の組織はパターナリスティックな関係に陥りやすいこと、業務の過多と組織構造ゆえに人の顔が見えなくなること、どんな現場であっても、チームワーク、人のケアへと注力する継続的教育、業務の余裕の3つは欠かせないこと、専門知識や専門職の立場、先入観や社会規範、自分の価値観が「人を見るモノサシ」を形作ってしまうこと、それを外すことにより初めて見えてくることがあること、当事者とケアラーの間に階層ができてしまい、コミュニケーションの妨げになってしまうこと、当事者を中心にしてヒエラルキーを意識的に取り崩す努力を行っていく必要があることなどの要因はよく理解できました。しかし、医療では臓器としての身体に注目し、「からだ」が見えなくなりやすいこと、医療技術と医療器械の進歩によって、声かけが欠如し、患者をモノ化し、患者から目をそらさせてしまうこと、この状況と闘争するためにあえてコミュニケーションをとる努力、生命を直接感じ取ろうとする努力が必要であることなどは、全然考えたことがなく、初めて気づかされた印象で、とても驚きました。さらに、そこで思ったことは、機械による文明が進みすぎると人はコミュニケーション能力を失い、人間同士の関係が薄れてしまうことがよくわかりました。"
自治体と自治会・町内会は違うこと、リハビリテーションの本来の意味は権利・名誉・尊厳の回復であることを初めて知りました。
"今回の講義も、本の内容の理解を深める回だった。本を事前に読んで内容を少しでも触れている人とそうでない人の先生からの質問に対する解答が露骨に差が出ているなと思った。自分は完全には内容を理解していないが、少し事前に読むだけで、授業の内容が頭にスっと入ってきた。自分の解釈と他の人の解釈、筆者の言いたいことを講義で照らし合わせることによって、より充実した講義になるなと思った。
本の内容は、「相手の立場に立つことについて」が今回のポイントだなと思った。いくら知識を持って事前にあれこれ考えて、最善策を考えるよりも、とりあえずクライエントと関わって声を聞くことが、1番の相手の立場に立つことになると、筆者は言っていたが、自分もそれにはかなり共感できた。クライエントは人間なで、それぞれの考え方、人生の歩み方があり、決まった最善策などなく、自分の知識が生かされないことだって多くあると思う。なので、とりあえず「聞く、関わる」ということが信頼関係を築いたり、解決へ近づくための行動であると強く感じた。"
"「ピアグループ」と言う言葉をこの授業で初めて知った。共通の困難を持つ人たちが集まって語り合うと言う方法だが、ケア以外にも様々な場面で使えるのではないかと思った。"
人とコミュニケーションを取ったり、相手の位置に立つためには、まず、相手の話を聞いたりして、関わることが大切なのだと分かりました。また、関わることによって、無意識にこちら側も閉じているものが開かれることもあるのだと知り、人間は、深いのだと感じました。
今回の授業で、改めて相手との関わりをもつことの重要性を理解することができた。相手のニーズを理解するためには、まずはコミュニケーションをとり、相手を理解していくが大切であると思う。また、本や動画から知り得た情報で障害者の気持ちを分かったような気分でいるのではなく、人それぞれ障害の程度や困難に感じていることは異なっているのだから、そのような彼ら一人一人に合った支援していくためにも、実際に関わり、相手を知っていくための努力を続けていく必要があると気がついた。
「声をかける」の中の宇都宮さんがどう声を掛ければいいか分からず迷っている間に宇都宮さんのお母さんが「悲しい?」と声をかけたことで2人は感情を出すことができたという部分から行動を起こすことの重要性を感じました。どう声を掛ければいいのかわからないと自分の中の思考で止まってしまうと何も始まらずに終わってしまうものが、「悲しい?」というシンプルな一言から2人のケアに繋がったように、アクションを起こすことで相手が反応しさらにその反応に対してアクションを起こしていくという連鎖が必要なのだと思いました。
今回の授業では1番印象深かったこととしてリハビリテーションの本当の意味です。今まではただ単に健康な体へと戻すだけのためだけど思っていたけれど権利、名誉、尊厳の回復が本当の意味だと知り認識を改めたいと思いました。また、相模原で起きた障害者殺人事件は記憶に残る重大な事件だと思いました。そしてコミュニケーションをとることをより身近に感じていきたいと思いました。
よく相手の立場になって考えると言えどその人がいったいどのような暮らしを送っているのか、どんな支援を受けてそれに対して何を思っているのかなどは実際に関わってみないと見えてこない。そのためその人に合った距離感でのラポールの形成が必要であると感じました
障害を持った人の生活を支えてるのはソーシャルワーカーの仕事で本当に大変だと感じました。また、この人たちの支えで障害者たちは暮らしていけるのだと思いました
"支援をする上で、まずは、当事者の話に耳を傾ける行為が、相手が何を感じ、何を考えているのかを理解し、「相手の位置に立つ」というふるまいが大事だと感じた。例えば、子どもの声を聴かずに支援方針を決定してしまったら、それは子供の立場に立って支援を考えたことにはならない。意思疎通を図ろうとする努力そのものがケアとなると分かった。今まで様々な講義や、これから色々なことを学んでいくが、培った知識だけを武器にせず、「相手と向き合う姿勢」を磨くことを、大切にしていきたいと改めて感じた。
関心を持ってコミュニケーションの場を作ろうと努力する事が大切なのだと知った。その努力を怠ると、逆に患者に悪影響を及ぼしたり、治るものも治らなかったりするのだと知った。これは高齢者や病気の人だけの話ではなく、子供でも同じで、親とどうしたいか、こちらが勝手に決めて、親のところに戻して殺されてしまったり、逆に帰りたいのに帰れなかったりと福祉において患者とのコミュニケーションの努力は欠かせないものであるとしった。
"障害者の方に対して、当然医療的な知識や技術も必要かもしれないが、障害という所だけに焦点を向けるのではなく、その人自身への興味や関心を深め、コミュニケーションを取ろうと努力することの大切さを学んだ。また、本にでてきた単語の意味をなんとなく知った気でいたが、正確には知らないものが想像よりも多かったので、単語の本当の意味をしっかり調べる努力を怠らないようにしようと思った。"
"今回の気づきは、言葉を知っているが、ニュアンスというアバウトなものであったことだ。そのため、意味とかけ離れた言葉もあった。中でも、リハビリである。日本では、医療の発展によって、在宅医療が可能となってきた。それに不可欠なのがリハビリだ。リハビリは、機能回復と考えていたが、実際は、人間にふさわしい状態ということであった。治すそうとすることは同じであるが、その後の目標が変わっていたのだ。ソーシャルワークでは言葉をニュアンスで捉えることで、連携が乱れてしまうと考える。言葉を意味をしっかりと把握することが必要になると学んだ。"
第3回 「ケアとは何か」第1章前半を読んで
「1mmも動かない体」を視聴して、この授業を受けるまで筋萎縮性側索硬化症のことを全く知らなかったので、久人さんの体が動かず、目線と口の動きでコミュニケーションをとっている姿に驚きました。目線でコミュニケーションを取っている点で、この授業を受けるまでの私だったら、久人さんの気持ちを理解しようと努力する受け取る側だけが凄いと考えていたと思います。しかし、「ケアとは何か」の「体が動かない人のサイン」の本文中にある「サインを出す側と受け取る側双方が努力を続けることで、〈出会いの場〉が開かれ、コミュニケーションとなる。」この文から、久人さんがコミュニケーションを取ることができるのは受け取る側の努力はもちろん、久人さんが眼球と口の動きだけというぎりぎりの状態にある中で、サインを出す最大限の努力をしているからこそコミュニケーションをとることができていると考えます。今回の授業でコミュニケーはションの新しい見方、考え方を得られました。
"今回は、この授業で教科書として使用している「ケアとは何か:看護・福祉で大事なこと」のまえがき、ケアのゴール、ケアにおけるコミュニケーション、サインをキャッチする力、声をかけることなどについて学びました。それぞれの部分で思ったことを述べます。まず、まえがきの部分で思ったことは、「誰の助けも必要とせず生きることができる人はおらず、人間社会ではいつも誰かが誰かをサポートしており、一人では生存することができない仲間を助ける生物として、人間を定義することもできる。弱さを他の人が支えること、これが人間の条件であり、可能性でもあると言える。」という部分、「エビデンスに基づく「医療」は、万人への有効な手段を追求する。本書が取り上げるケアとは、出来事・偶然の出会い、背景の多様さを前提とする。」という部分、「本書では、個別の体験を、当事者やケアラーの「語り」を軸に、ケアとは何かを考えていく。」という部分の3つは、障害者や高齢者などケアをする人やケアを受ける人だけでなく、健常者を含めたすべての人にとって関係する重要な内容であったため、記憶に入れておこうと思いました。
次に、ケアのゴールに関して思ったことは、ケアのゴールとは、苦しんでいる人の苦痛を緩和したり、生活に困難を抱えた人の身の回りの世話をしたりすることであるという内容でしたが、ケアにゴールなんてあるわけがないと考えていたため、私はこの言葉の意味が最初全く理解できませんでした。しかし、「患者や苦境の当事者が、自分の力を発揮しながら生き抜き、自らを表現し、自らの願いに沿って行為すること」、「当事者が自身の<からだ>の感覚を再発見し、自らの願いを保てる、そのような力の発揮を目指すこと」など、筆者が考えるケアのゴールを読んだことにより、なるほどと思いました。
ケアにおけるコミュニケーションに関して思ったことは、「治療ができない状況でも、ケアのコミュニケーションは続く。そばに立ち会い、つながりをつくり、真摯に当事者の声を聴こうとすることにより、はじめて支えることが可能になる。支援の現場ではこれが難しいものとなるが、困難を乗り越えつながるための強い意志・技術・努力がケアの現場を支える。」という部分、「患者や当事者を周りの人とつなぎなおすことがケアの出発点となる。患者と家族の間の深刻な亀裂、家族関係の修復を行う形のケアがある。病や逆境にある人の、二重の孤独(人とのかかわりの断絶・孤独の表明の困難)に対して、つながろうと努力をする人が、援助職。」という部分は、共感し、全くその通りであると思いました。
サインをキャッチする力に関して思ったことは、「サインをキャッチする力は、人間に生得的に備わっている力であり、この力を最大限に追求する営みが、ケアである。」という部分、「出会いの場とは、コミュニケーションを取り交わそうと試みる場。体と体が触発し合い、互いに何らかのサインを受け取る場。」という部分、「サインが示されても、ケアラー側の注意力が働かなければ、また機械的な指示に終始していたら、出会いの場は開かれない。」という部分の3つは、サインをキャッチし、コミュニケーションを取るうえでとても重要であると気付きました。
最後に、声をかけることという内容に関する動画、「1mmも動かない体…難病ALS患者と家族 #1」を見て思ったことは、当事者は言葉や体で表現できないが、心の中ではとても苦しんでいること、当事者の子供はまだ幼いにもかかわらず、障害に興味を持っていること、大きなお世話と思うくらい他人からとても心配されているが、気にせずどんどん前へ進むことなどは、とても素晴らしい姿に見えました。
"最初に選挙についてのアンケートがありました、私は一人暮らしで住民票を移し替えて居ないため選挙権が届いて居ません。なので、選挙には参加しませんでした。日本の選挙に行っている人の確率として高齢者は行き若者は行かないと言う事を聞いたことがあります、成人になった私達にも選挙権があるという認識が薄い事で選挙に行かなくてもいいって考えをしてしまいます。
次に、面前DVについてです。子供の頃は自分の意思をハッキリ言う事は難しい事で、両親の喧嘩などを溜め込んでそれを恐怖に思えてしまう事はとても辛い事だと思いました。
それと、サインをキャッチする力では私もアルバイトをしていた際によく来るお客さんの情報を常に覚えていました。1度や2度だとそのお客さんの状況は分かりませんが4、5回会うことでそのお客さんのことを理解することが出来ました。お客さんの為に行っている事が伝わって、褒めて頂きました。これらもお客さんへケアをしている事になると思いました。"
「ケアとは何か」を読んで自分で要約した所と授業中に要約されたものを比べると、違う箇所がいくつかあったのでもう一度読んで確認してみようと思った。動画では当事者とその家族の思いがしれて良かった。
「私はあなたのことを理解している」という思い込みは、当事者への暴力になる危険と常に背中合わせである。これは人間関係でも大切のことだと思うのでとても心に残りました。。教科書をしっかり読んで次回の授業を受けたいです。
"【ケアとは何か】の細かい解説と専門用語についての説明が今回のメインでした。なんとなくわかっていたつもりの言葉が実は思っていた言葉と意味が違ったこともあり驚きの連続でした。自閉スぺクトラム症の特徴の中に私にも少し当てはまると転がって尚且つ身近なものだったのかと気づくことができました。それに虐待通告の過半数が心理的虐待が多く面前DVが多かったことも初めて知りました。ALSの人のドキュメンタリーを見た際には死にたくなくても家族に迷惑をかけるかもしれないかもしれないから呼吸器はつけないという選択を一度したときもかなり大きな決断だったと思います。しかし、そのあとまた生きたいと思い呼吸器をつけて生活を周りに手伝ってもらいながら暮らしている姿を見て、勇気をもらいました。"
"1度本を読みましたが、講義や他の生徒さんの回答を聞いていて、自分がまだ本の内容を理解しきれていないのだなと感じました。本を読み込んでいきたいと思います。ケアというものは患者や当事者だけが頑張るのではなく、援助する人側も強い意志を持ち努力することで、信頼を築きコミュニケーションを取ることができるのだと思いました。最後のALS患者の男性は本当に強い方だなと思いました。死を選ばず生きる道を選択したのは強い心がないとできないことだと思います。動画の男性はもちろん、他のALS患者さんのことがもっと多くの方に知られるべきだと感じました。"
1番印象に残ったこととして筋萎縮性側索硬化症(ALS)の映像の中で歩くことなどに支障が出てしまうのに見たりする時には支障がないのが不思議だと思いました。また、選挙では自分に歳が近い方が積極的に立候補し当選できることが凄いと思いました。
ALSという病気のビデオを見て、死んだ方がマシと思える状況になってしまう病気があることを知った。動画で逮捕された医師の話が出てきたが、彼らもやりたくてやったわけではないと思うので、とてもやるせ無い気持ちになった。
ALSの映像を見て泣きそうになったし本当に凄いことだと思った。もしも自分が同じ様な病気になった時に生きていく決断はきっと出来ないと思う。それでも家族の声を聞いて生きていくと決められたのは素敵だと思った。そのような人を支えられる様な人間になりたいと思った。
"ALSの家族を持つ家族の動画見て、とてもすごいと思いました。お互いがお互いを思っていて、自分も同じ立場になった時に同じことを想えるか考えさせられました。
"als患者についてこのように筋肉が衰え生活が困難になる病気があると初めて聞き、驚きました。他にも様々な難病が存在すると思うのでいろいろ知っていきたいです。
いわゆる植物状態の方に対する語りの重要性についてを知った。自分の母も癌になり、死亡する前は意識もほぼない状態だったが、訪問看護の方が母に対して真摯に語りかけてくれていて、今思えばそれが母にとっても自分にとっても救いになってくれたと思うので、コミュニケーションをとろうとする事を諦めてはいけないと感じた。
ケア=特別な人のためのものというイメージがあったが、誰もが必要としている普遍的なものだと知りました。また、ケアをすることで大切なことは、苦境にある当事者が自分の力をどう発揮できるか模索していくことだと知った。そのために当事者を理解し、相手のサインをキャッチすることが大切であることを学びました。
"ケアとはなにかということを学習しました。ALSや自閉症、などの患者とケアラーがどう関わっていくのかなどを学び本当に大変なのは患者なのか、ケアラーなのかなど、よく考えさせられるきっかけになりました。"
ケアとは何か、を読み分からない言葉の中には福祉を学ぶ上での大事なことが隠れていて自分が解釈していた意味とはかけ離れていてとても勉強になった。
ケアとは何かと言う本でまえがきから初めてみる単語が多かったが、きちんと調べることでストーリーを頭の中で想像しやすいと感じた。また、自分の家族や自分自身がALSになった時果たして前向きに看病ができるのか希望を持ちながら生きていけるのかを考えさせられた。
ケアとは逆境の中で生きる人を励ましたり支えたりするものだと思われがちだが、その本意は、当時者が自分が持つ力を発揮できるようにする事だとわかりました。ビデオを見て、支援が必要な家族がいる時に他の家族が支えて当事者が自分の人生を全うできるようにしているのを見ると、ケアとはこういう事なのだなと思いました。
ケアとは普段思ってることと違ってほんとに簡単なことではないと改めて知れた。また、本を読む習慣をつけないといけないと思った。
ケアにはただ人の話を聞くや寄り添うだけでなく自分から当事者に耳や身体を傾けて行くことが大事だと思った。自分がケアラーなのであれば相手のことを考えて迷惑になるとかを考えずにストレートを試みる事が相手を理解する第一歩だと感じた。
ケアは病む人と共にある営みである。意識が薄れている人、身体が動かない人もまた何かを伝えようとする。それをキャッチする人がいればそれはサインとなり、キャッチすること自体がケアとなると学んだ。動画内のALSの方を持つ家族は、自然とケアができていると感じた。特に、2人のお子さんはケアをしているという自覚はないだろうと感じる。家族みんなでALSである方のサインをキャッチして、日々生活しているのだと思った。身体が動かないが、伝えたいことをキャッチしてくれる家族がいるという安心感がすごいあるのではないかと考えた。
この授業を通じて本では調べられなかった言葉をたくさん学び、世話という言葉にも理解を深め、障害にはたくさんの種類があり、同時に世話の仕方もたくさんあります。私の社会福祉に対する理解ももっと深くなりました。
コミュニケーションは、今までは言葉で会話することだと思っていましたが、それだけではなく相手に様々な些細な動きなどで、言葉を交わさなくても伝えたり、読み取ったりすることを知りました。
しっかりと本を読んでいるつもりになっていたが、授業を受けて自分は全然読み込めていないということに気づかされた。相手が筋萎縮性側索硬化症などだったりしても、声をかけ続けることが大事だということも理解できたので、もし自分がかかわることになったらたくさん声をかけてコミュニケーションを取りに行きたいと思った。
ただ本を読むのではなく、しっかりと意味を確認しながら読むことが大切だということがわかりました。私はしっかりと書いて行ったはずですがいざ聞かれると不安になってしまったのでもっとしっかり読んでいこうと思いました。
どこも動かない状態で生きていく人を見て、とても苦しいし周りの方も苦しいと思うのに、その人がどうしたいのかどう考えているのかを優先してケアをしている姿に感動しました。
とても重い講義だった
ひとつひとつの言葉の意味が自分が想像していたのと全然ちがって驚きました。また、授業を通して人の気持ちを理解することは簡単そうですごく難しいということが分かりました。自分の憶測で相手の気持ちを決めつけずに、相手に寄り添い気持ちを考えられるようになりたいです。また、ビデオを見て世の中にはALSを始めとした常に死と隣り合わせの病気もあることを知りました。家族もすごいけど、やっぱり死も考える中、生きることを決断したのがいちばんすごいと思いました。
"まえがきまでしか読んでいなく、第1章は読んでいなかったのでまず分からない単語も見つけられていなかったので話についていくのが大変でした。次回は今日の焦りをバネにしっかり読んで要約までしていきたいと思いました。
ケアにおけるコミュニケーションはそばに寄り添い声をかけ支えることだと学びました。
またALSという病気を初めて知りこの世の中には沢山の病気の種類があるので1個でも多く知り理解し支えられる人になりたいと思いました。"
"まだ半分までしか読めていなかったのですが、その中でわかった気になっていたワードが多いと感じた。
読んでいる時に理解できているつもりだったが実際にどう言った意味かを説明することが難しかったため、もっと細かく意味を知ろうとしていきたいと思った"
わからない言葉があると、その後の話の内容を理解することが難しくなるので、わからないままにするのではなく、すぐに調べ言葉の意味を理解することが大切だと思いました。
意識が戻らないであろう人にベテラン看護師さんは声を掛け続ける行為はその人に対する思いがとても強いと思った。ALSさんの動画を見た時、周りから大変だと奥さんは言われるけど大変なのは旦那さんと言っていた時、私は本当に身近に病気の人を介護しないとわからないのだと思った。
患者や苦境の当事者に寄り添うために、コミュニケーションなどを通じて、サイン及び表情、言動を汲み取り、援助につながることを知った。
教科書に書いてある単語や語句をただ読み進めるのではなく、意味を調べることで授業の中でさらに学びを深めることができた。
教科書を読み進めてきて、復習のようにもう1回授業で確認できたので、知識の定着に役立つなと思いました。またALS患者が家族に迷惑をかけないためにという意思から来る、呼吸器をつけない選択する方が7割もいるという事実が物凄く心苦しかったです。
決まっているから問いかけるのではなく本当に心から知りたいから問いかけることが必要という先生の言葉にはとても共感しました。ケアを受ける当事者はコミュニケーションをとろうとしているし私たちがサインをキャッチする努力をするように当事者も私たちのそのような上辺の気持ちだけだとそれを察知して気持ちよく過ごせないと思うからです。最後の動画にでてきた家族は全員が同じ気持ちで一生懸命頑張っているのが素晴らしいなと思いました。
言葉が発せない利用者のコミュニケーションは目線や身体の具合をみてコミュニケーションをとる必要があることがわかりました。
講義の最後に筋萎縮性側索硬化症の方の動画を見て、病気になってしまっても誰かのために一生懸命頑張る姿はとてもかっこいいなと思ったし、それを支える家族の皆さんも素敵だなと思いました。このような方々がいることや重度訪問介護の人手不足は世間にもっと知られるべきであると思うし伝えていかないとなと思いました。そして、今こうして元気に過ごせてることは当たり前ではなく、ありがたいことなんだということを再確認出来た大切な時間になりました。
今まで耳にしたことはあったが、詳しくは知らなかった医療や福祉用語について学ぶことができてよかった。ALSの患者や植物状態にある人々などの自ら伝えることが困難な状況でも、ケアラーはサインをキャッチし、声をかけてコミュニケーションをとっていく姿勢の重要さを学ぶことができた。
"今まで自分の考えていた「コミュニケーション」が浅いことがわかった。言葉だけがコミュニケーションではなく、行動、眼差し一つでサインを出しているかもしれない。それを読み取ることができるようになっていけるようにするのが大切である。ケアとはヒトの営みであり、言外のサインを理解できるようになっていこうと思った。関わり方を考え,最善のコミュニケーションを取れるようにしていこうとも思った。"
"今回の講義でケアではコミュニケーションをとることが非常に大事なのだと感じました。たとえ喋ることができない状態の人だったとしても、コミュニケーションをとることを諦めてはいけないのだと思いました。ALSの人の動画をみていると家族もコミュニケーションをとることを大事にしているなと感じました。言葉は発せなくても、障害者という人でなく1人の家族として支えているのがとても感動したし尊敬します。"
今回の講義では、ケアとはなにかの中での単語について詳しく学びました。高校生の時にある程度の単語は調べたことがありましたが、まだまだ自分の知らない単語が多くあることに驚いたと同時に、もっと自分でも調べていきたいと思いました。また、最後に見たビデオもとても印象に残っており、高校時代に同じような症状により安楽死を選んだ方のビデオを見たことがありました。この2つのビデオを見た事で、改めて命の重さを実感し、福祉について真剣に考えていこうと思いました。病気を止めることは不可能だとしても、今回のように障害で苦しんでいる方の心や生活を支えられる人間になりたいです。
今回の講義を聞いて、講義の前に教科書を読むことがとても大事なことだなと思いました。事前に該当箇所を読むことによって講義の予習にもなるし、自分自身のためにもなるなと思いました。事前に読むことによって、身に付くこともあるのではないかと思いました。
今回の授業で、ケアと聞くと周りの人が大変で苦労が多いと思っていましたが、ケアを受けている本人も病状や周りの人に迷惑をかけているのではとケアをしている人とは違う生きていることに対して苦しくなってしまうところが見ていて辛かったです。私も実習に行くので、その時には相手のサインをしっかり受け取りコミュニケーションを取ること、相手を分かった気になるのではなくでも理解をしようという気持ちを持って臨みたいです。
今回の授業で、本の内容について、わからない言葉を調べ、知識を得ることの大切さを理解した。面前DVという言葉は知らなかったが、行為自体は動画で視聴したとこがあり、あの行為がそういう名前だったのかと、言葉と行為・意味を結びつけることができて嬉しかった。社会福祉について学んでから結構経つが、知らない単語や知っているけれど上手く説明できない単語などが多く、知識が身についているようで全く身についていなかったことに気がつき、授業での学びだけでなく、本から知識を吸収していくことが大切なのだと理解できた。また、ALSの父親の動画を視聴して、「お父さんには生きていて欲しい」という子供の気持ちに答え、延命を続けていこうとする姿に感動した。しかし、このまま体を自由に動かせず、ベッドに横たわったまま生きつづけていく恐ろしさに、生きることを辞め、死を選んでしまおうかと、葛藤している姿に、酷く胸が苦しくなった。
今回の授業では、完全に相手を理解することはできないということがわかりました。確かに誰かに相談した時にわかるわかると言われるとほんとに?と思う時があります。それと同じ様に、誰かに相談された時確かに!って思うことはありますが全て理解して相手の気持ちになることはできないので、福祉の場面でも患者さんの全ての気持ちがわかるわけではないので言動や、表情を見てうまく関係性を作っていくのが大切なんだとわかりました。ケアラーには、ちょっとしたサインを受け取れる様に、注意力も働かせることが大事だとわかったので、実習で活用していきたいです。
今回の授業では、病名とその病状や種別のケアの方法、医療機能の名称、そして筆者のケアのゴールについて深く考えることができたと思いました。この事から私は、もちろん周りの人が施してくれるケアも大切だが、当事者自身も苦境から抜け出すための努力をしなければならないと感じた。
"今回の授業ではケアとは何かという本の中にあったALS(筋萎縮性側索硬化症)は体を動かすのに必要な筋肉が徐々に痩せていき、力が入らなくなる病気だと言うことを学びました。授業の最後に実際のALS患者の生活の映像を見て、自分自身、1度見た事のある映像でしたがALSについて学んだ後にこの映像を見て初めて見た時はただ可哀想だと思ってしまいましたが病気について知った後にお父さんを支える家族を見ると、社会福祉の立場としてできることはなんなのか考えることが大切だと思いました。具体的には今は無い24時間体制で看病を行う施設はどうしたら成り立つのかについて少しでも考えることが今の私にできることなのかなと思いました。"
今回の授業最後の動画を見てお母さんのことをすごいと思ったと同時に、お父さんの決断力と覚悟が決まっててなかなかできるものじゃなくてすごいと思った。
今回は、「ケアとは何か」という本を使って、ケアやコミニュケーションについて考えたり、ケアや福祉の周辺にある言葉を知ることができました。今回の講義の中で、私が感じたことは言葉を調べることと言葉を正確に知ることの重要性です。例えば、ALSについてはニュースなどでよく見聞きするため調べなかったのですが、講義の中で自分の知識の誤りに気づき「理解した気になる」ことの危うさを実感しました。知らない言葉は日常的に調べて、人や物事を正しく理解しようとする努力や姿勢を身につけたいと思います。
今回は、ケアについての単語や目的についてやった。これまで、本を読むことはしてきたが、その内容を要約をして、理解を深めることはしてこなかった。だから、本を読む理解度がいつもと全然違い驚きがあった。さらに、何気なく読んでいる用語も、説明ができなかったため、本を読むということが難しいものと実感することができた。ケアについて、病院の種類が4つの機能を持っていることに驚きがあった。身近なものを全然知らないと感じてしまった。医療用語なども聞き馴染みはあるが、説明をできないということにもなった。これから、用語を覚えるのはそうだが、意味もしっかり把握することが必要になってくると考える。今回で、内容を理解するために、自分の言葉変換することが大切と学んだ。これからも頑張っていきたい。
"今回は初めての「ケアとはなにか」の本を使った講義だった。まだ、1章の途中までしか読んでないため、あまり本の内容、雰囲気が掴めてない。なのでしっかり個人で読み進めていき、分からない語句は調べつつ、内容を理解していきたい。また本の内容を鵜呑みにして、「この本の専門家が言ってることは正しいんだ」と捉えるのではなく、1つの意見として捉え、自分の考え方と照らし合わせながら、自分なりの考え方を探っていきたい。あまり、本は読まないので、この機会に大学生らしい読書を考えながら取り組んでいきたい。
今日は3回目の授業でした。ケアとは何かという本を読んで、わからない言葉がたくさんあったので調べました。今生きている私たちは誰かの助けがないと生きていけません。生まれたての赤ちゃんの時、赤ちゃん1人では生きれません。私たちは全員ケアを受けていると思いました。赤ちゃんでなくても、苦手なことがあったら周りの人に助けてもらうことがあるのと一緒です。自閉症スペクトラムについては、幼馴染の自閉症の子がいて、共感できる部分がありました。私の幼馴染は絵と飛行機がとても大好きで授業中もずっと絵を描いていました。好きなことに熱中している時話しかけても気づかないほど集中しています。知識もすごく尊敬できる部分もあります。ケアとは偶然と運命と対峙していると思いました。
今日はケアとは何かのわからない単語を確認したり、ALS患者の動画を見ました。ALS患者である旦那さんを支える奥さんは強いなと動画を見て感じたし、必死に生きる旦那さんもとてもかっこいいなと思いました。
今日は映像を見たり本の意味や本の内容などを学びました。意思疎通やケアの大切さを学びました。最後の映像では生きるためにせえいっぱい生きようと頑張って医療の人や人の支えがあって福祉は成り立っているのかなと思いました。
今日見たビデオでは、奥さんが「大変だね」と周りから言われているという場面が印象に残りました。もちろん、24時間ケアをしないといけないのは大変かもしれないけど、当事者もより大変な訳でそこをしっかり理解してはき違えないようにしたいです。実際おこなわれているケアの営みを見てケアラーと当事者の等身大の気持ちを理解していきたいです。
些細なサインを読み取れる、感じ取れる努力や感受性がとても大切だと感じた。普段から人のことをよく観察し、キャッチできるような努力を積極的にしていきたい。
"最後に見たビデオですごく胸がグッときた。本をしっかり読んでおこうと思った"
"最後に見た寝たきりのお父さんと家族の接し方や考え方がとても心に刺さった。お父さんは一度は死を選んだが、子供の声を聞いて生きることを選び、自分のような人をクラウドファンティングで助けようとしている。また、お母さんの「本人が一番大変」というのは最もだし、本でも介護士の人が同じことを言っていたと思います。私も同じような人とこれから先接する機会があると思うので、サインを見逃さずコミュニケーションを取って、そのような人の支えになりたいと思いました。"
"最後に見た動画で、ベッドの上から夢を叶えるという一言が強く印象に残りました。安易に死へと向かうのではなく、好きな場所で好きな生き方をできるよう目指すというのは私たちにとっても重要な考え方だと強く感じました。"
最後の動画で私は何回かALS患者の動画をみたことがあります。あの動画を見るたびに、「この人は勇気があるな」と感じます。周りの人も看護で辛い、でも自分が1番辛いんだということを改めて動画を見て思いました。
最後の動画を見て、ALSの病気で人工呼吸を使いながら一生懸命生きててすごいと思いました。自分だったらきっと死を選んでると思いますし、家族の支えがあるからこそ頑張れるのではないかなと思いました。
最後の動画を見て、本に出てきたALSとはどのような状態のことを言うのかイメージがついた。徐々に進行してくるこの神経の病は、当事者はもちろんのこと、家族も恐怖や不安になり私たちには簡単に共感できないほどつらい思いを抱きながらも、生きることを選択し、家族みんなで乗り越えていく姿がとても印象に残った。
参考書内の分からない単語や筆者の考え方について考えられた時間でした。調べたりてない単語や調べ途中の要約などがあるので出来るだけ終わらせてから次の授業に臨もうと思いました。
私は今回の選挙で投票権を持っていましたが、選挙には行きませんでした。だれが当選しても変わらないと思いどんな人が立候補しているかも知りませんでした。授業の中で北本市で立候補し当選した人の話を聞いたり、他県でも最年少の市長が当選したというニュースを見たりし、自分と大きく年が変わらない人が政治家として地域を支え始めていることを知りました。このような話題を知り自分自身が政治に無関心ではいられないという気持ちが強くなりました。次の選挙ではだれが立候補しどのような政策を考えているのかを理解し政治を任せたい候補者を見つけ投票したいと思いました。
"私は選挙に行かなかった人です。行かなかったと言うより、行けなかったのです。理由は、私が住んでいる地域は高齢化と過疎化が進んでいる田舎です。そのためか、今年の選挙の立候補者が2人しかおらず、選挙で選ばれる人は二人なのだから選挙をする意味がないとされ、選ぶことすら出来ませんでした。私も選挙に行きたかったです。他の地域で立候補者の選挙ポスターを見るととても羨ましく思います。行かなかった方は、せっかく選べる権利があるのだから、「興味無い」「わからない」「意味が無い」ではなく、政治をもっと自分事だと感じて選挙に行って欲しいです。"
私は本を読むのが苦手で福祉に関する本を初めて手に取ってみたけど、自分の興味のある分野だからすごく面白く感じたし勉強になった。コミュニケーションにも言葉のキャッチボールだけでなく、視野を広げて身体ともコミュニケーションをとる大切さを知った。自分が現場で働くことになったら、参考にできることが多すぎてとても勉強になりました。
自分で書いたことと他の人が書いた内容とを比較し、解説や編集を聞きテキストの内容や自閉症などの用語についても理解することができた。
自分の周りには障がいを持っている方がいないので動画を見て改めて大変さがわかった。授業プリントと本をしっかり読んでわからない単語などは調べておきたい。
"自閉スペクトラム症という言葉が本の中に出てきて、どんな障害なのかまだ深く知らないので、これから3.4年生になりもっと専門的に勉強していくのが楽しみだと思いました。
苦しんでいる人の苦痛を緩和するのがケアだと思っていましたが、それだけがケアじゃないことを知り、これからこの本をもっと読み進めて行きたいと思いました。"
授業の感想ではないのですが、私は、障害を持っている子どもたちについて学んでいる1人の生徒として、もっと障害児について知って欲しいという気持ちがあります。また、私たちがどういう勉強をしているのかということも発信していきたいとおもっています。また、多くの受験生や在校生が、特別支援学校について興味を持ってもらえたり、障害児についてもっと知ってもらいたいと思っています。なので大学のサイトやFMクマガヤなどで発信していけたらなと思っています…。。
障がいのある人とのコミュニケーションするためにも何か相手側の信号をしっかり受け止めると言うのが大事だとわかり自分ももし機会があったら意識したい思った。
障害者や赤ちゃんなど自分の、感情を伝えるのが難しい人の理解は難しいとしか思っていなかったけど、考え方を変えると伝えてることを受け取る能力が低いのかという事に気付かされた。そしてもっと受け取る能力をつけようと思った。
寝たきり患者の人の映像を見た。本人の支援や援助ももちろん必要だが、家族の精神的な支援や物理的支援を実際にしたいと感じた。
新書の要約や感想を書きましたが、今日の授業で、しっかり読めていないなと実感しました。「児童福祉司の資格を取りたい」とずっと言っていましたが、働いてる名乗れることを知って恥ずかしくなりました。また、コミュニケーションというものは、会話だけではなく、身体的な動きでも取れることを知ったので実習やボランティアで子どもたちの様子を見ていこうと思いました。
新書をもとにケアとは何か少しずつ分かったような気がしました。自分で要約したところをマイクで話したのはとても緊張しました。また、動画を見てALSの方とその家族の日常についてもっと知りたいと思うきっかけになりました。
選挙に参加することは国民の義務になるので自分の持つ1票はしっかりと使うことを改めて考えました
"相手を100%理解することは不可能だということを前提とし、当事者への暴力になる危険と常に背中合わせであるが、それでも努力し、アプローチすることがケアなんだと思いました。また、相手とのコミュニケーションがとれなかったという言葉は、相手をしっかり観察する自分の意思や努力が足りなかったということが、原因だと知りました。最後の動画では、ALSの患者の7割が死を選択しているということを知り、私が想像していた割合よりも多く、患者さんの葛藤や悩みはその人自身にしか分かりえませんが、家族とのコミュニテーションは、患者さんにとって、そして家族にとっても本当に大切な時間であると、この動画を見て感じました。"
誰もが病気になりたくてなったわけではないため、なってしまった方にとってどんなケアが最適なのか、どんな生活がよいのか些細なことから読み取る必要があるなと感じた。
"動画で見たALSの男性の方の目や口が動かなくなってしまったら、どのように意思を伝えるのだろう、と思った。今のうちに気持ちを書き留めておいても、気持ちは変動するだろうし、全く動けなくなってしまったら、本当にその人の意思は尊重されているのか、疑問に思った。"
難病のALSの動画を見て、自分がどれだけちっぽけな悩みを抱えているのかわかり、思うように動く体であることに幸せを感じました。一日一日を大切に過ごしていきます。難病などを抱えている方に寄り添えるよう「ケアとは何か」をしっかり読んでいこうと思います。
病や貧困は偶然であり、理由などない理不尽なものである。また、ケアを必要としている人たちのコミュニケーションの取り方やSOSの出し方はさまざまであるため、とても難しい。そのため、相手を100%理解することは不可能だということを前提に、相手に寄り添おうという強い意志が最も大切であると学んだ。死や衰弱は誰しも、やがて訪れる。人間の弱さが前提にある「ケア」だからこそ、ケアラーの努力がとても大切であると思う。
病院は機能文化されていて、例えば高度急性期機能病院は救急車で運ばれるときなどに行く病院であることがわかりました。医療・医学を超えたものがケアであり、ケアは特別な人のためのものではなく誰もが必要なものであるという内容が印象的でした。ケアラーは、100%理解できない相手を理解しようと努力すること、当事者の方と思うようなコミュニケーションが取れなかったとしても、つながるために諦めずにサインをキャッチすることが大事だと思いました。
病気や治療をすることがケアだと思っていたけどさまざまな視点からケアについて考えることができた
福祉と政治は密接に関連していて、政治は福祉を前進させるための重要な役割を果たしている方がわかった。政治家は、社会のニーズを把握し、適切な政策やプログラムを実施することで、市民の生活水準や福祉を向上させることができ、政治的な力関係や資源配分の問題が福祉に影響を与えることもあるということも調べて理解することができた。福祉を向上させるためには、市民が政治に参加【つまりは選挙】し、政治的な影響力を持つことが大事だということも学習できた。
分からない単語の意味を何となく分かったつもりでいたが、受講生の説明を聞いて自分の調べた意味との違いがあって、もう少し慎重に調べていく必要があると思いました。本文の内容も章ごとにまとめたものの、先生の質問に対する答えを瞬時にまとめることが出来ず内容の深いところまで読めていないことに気がつきました。本の内容の表面的な部分だけを読み取るのではなく今後は、その文章が表している「つまり」の部分を読み取りたいと思います。
本の語彙や内容を講義の中で確認していき、改めて内容を理解するにはしっかりと読んでおくことが大切だと思いました。また、大事なところは線を引いたりと自分なりの本を作っていきたいです。この本を読み、ケアにおけるコミュニケーションは必要不可であり、ケアラー側の努力が大事であることが分かりました。また、実習に行ったときはコミュニケーションを絶やさない努力をしていきたいです。動画を見て、病気の人もその人を介護する家族も両方の努力であることが分かりました。ALSの父が家族のことを色々考え、日々思い、また家族もALSの父のことを思っていて心が締め付けられました。それでも、前を向いて新しい取り組みをするなどしている父はすごいと思いました。夢をベットの上で叶えて欲しいと強く思います。
本の内容について、難しく読解が苦手であったが授業でさらに深く学ぶことで理解が深まった。
本を読み、自分なりに捉えてまとめることの大切さが理解出来ました。また、知らない言葉については適宜調べることによって理解を深められることが分かりました。
本を読んで、コミュニケーションをとることの大切さやコンタクトをとろうとするケアラーの努力が必要だと知ることが出来ました。私はバイトで福祉関連に務めているので、障害者の方と話をする時に、相手に私は聞こうとしているという意志を伝わるようにしていきたいと思いました。当事者の気持ちを完全に理解することが出来ないということも知ったので、改めてコミュニケーションをとることの難しさを感じました。基礎的なことから学ぶことが出来て嬉しいです。
本を読んでみて参考になることが多かった。あまり本を読むということをしてこなかったのでこれからは沢山読んでみようと思った。
本日の講義から課題図書に取り組んだ。今回は、まえがきと第一章の途中間で行った。超急性期やALSや植物状態など普段の生活では、聞かない言葉が多かった。知らない言葉を毎回調べることにより、ボキャブラリーが増えて文章で使える単語が増える。更に、コミュニケーションは話すことだけではなく、色々な方法をコミュニケーションをとることが分かった。
第2回 大学における学び入門
2回目の授業を終えて思ったことは、授業を受けている際も自分で問いを発見出来ていないと感じました。大学2年生になり、レポートを書くときなどは自分で問いを見つけられていますが、授業を受けているときには問いを見つけられておらず、常に受け身になっていました。今後は、授業を受けて少しでも疑問に思ったことはメモをし、すぐに解決できるようにしたいです。
"3年生になってやっと、授業をしっかり聞き、レジュメに大切だと思うところを書き込んでいこうと決意しました。"
ICFの視点や政府自治体、非営利・ボランタリー組織、コミュニティ、市場の四つの主体がどう関わり合っているのかを再度理解し、テキストの内容を理解するための方法や講義内容のノートの取り方などを振り返る機会となった。
アカデミック・スキルズという技術を身につけ、大学の教養を学んでいきたい。また、常に疑問を持ち、正しいのかどうか考え、自ら問いを見つけていきたい。問題発見のための力、錬磨を身につけるためにも社会福祉の入門の本をしっかりと読んでいきたいと思った。教養を伸ばすには説明し、整理することが大切であり、共有してもしていきたい。デジタルは今まであまり積極的に使ってこなかったが、今回の講義を聞き、大学の講義などを通じてパソコンに慣れていこうと思った。
"アカデミック・スキルズのことがよく分かりました。問いを立てるのが論文で、自分なりの問いを立てることが大切なポイントということが分かりました。"
アカデミック・スキルを磨いていくことを目標とし、自分自身の教養を伸ばすための方法をしれたので良かったです。また、自分の興味、関心を持った本を中心にして読み少しずつでも読書する回数を増やし様々なジャンルを読んで自分の知識の幅を広げていきたいと思いました。
アカデミックスキルズという言葉を聞いたことあったけどどうなものか知らなかったので為になりました。
"アカデミックスキルズについて初めてしれたり先生のお話で教養の大切さを改めて感じることができたのでこれからしっかりと勉強に励んで行きたいと思いました。"
アカデミックスキルズは、授業での講義の受け方や、本を読む時の考え方など、ひとつの場面だけではなく、多くの場面で活用できる、技術であるな、と感じました。
"インターネット社会である現代において端末を使わないと言う選択肢が少なくなっているなか、いつまでも機械が苦手だからと言い訳している場合ではないなと感じました。
私は元々手書きで文字を書くことが好きでずっと手書きを利用していたのですが、社会に出てから対応できないでは後々困ると思うので、今からデジタル式に慣れていこうと思います。"
オレンジリボンやちくわ研について少し興味を持ちました。アカデミックスキルズは、自分のためにもなると思うので、読んでみたいと思いました。
この授業ではレポートが大事だと聞いたので、4月末に発表される課題の内容を考えてしっかりやりたいです。
この授業を通じて、私は社会的配慮の対象がすべての人であることを学びました、以前私はずっと関心を持つべき対象が老人と児童だと思って、私はこの授業が私にとても役に立つと感じて、自分がもっと深い知識を学ぶことができることを望んでいます
すでに確立された知識に疑問を持ち批判的に思考し検証する、自分で問を発見するというところが印象に残りました。【社会福祉の仕事がある=社会に矛盾がある?】という言葉にすごく興味が湧きました。これから社会福祉だけでなく違う分野でも社会福祉の中でも自分で興味が湧くような問いを発見したいと思いました。
ただ授業を受け身で聞いているだけではいけないなと思いました。授業の時間も有意義に使うため、しっかり考え、アンテナを張っていきたいとおもいます。
わたしは中学生の頃から少し考えが違ったり腑に落ちなかったものは本当のことか、偏ったものじゃないのかを疑う性格だったため、質問したり調べたりするのは好きだった。また、教養のある人になりたいと思っていたため、アンテナを張ること、なぜ面白いか説明できるようにすることを積極的にしていきたいと思った。
感性(センス)が自分は全くないので先生が言っていた美術館や写真館にいって磨きたいなと思いました。
基礎知識、理解力、洞察力、思考力、感性など大学で学ぶことの本質を知ることができた。自分が生活していく中で環境などの様々な要因が関わってくるとともに、そこに対する教養もしっかりと身に着けていきたい。また自分が本当に学びたいことは何なのかをしっかりと追及し、批判的ながらも自分の意見を明確に持ち、論理的思考を生み出せるようにこれから受講していきたい。本を読むことも最近は減ってきていた。少しずつでも難しさの壁を乗り越えられるようにこちらも教養を身に着けていきたい。
基礎知識と基礎考察を学び、基礎知識を鵜呑みするのではなく、その知識に疑問視し、様々な観点から物事を検証して解釈するをアカデミック・スキルズ
既にある問題に目を向けて解くのではなく自分で新たに問いを作るのが学びとしての本来の形であることに気づきました
"教養というものは人が一生をかけて追求するもの。という部分はとても感心するものがありました。その人にとっての教養が更新されず、古い認識のままだと、他人から見たら教養がないと見做されてしまう時があります。自らを客観視し正しい道を切り開くことのできる人間が教養のある人であり、教養にゴールはなく一生をかけてアップデートする必要があると考えました。
教養を進化させるため、アップデートさせるためには、自分の視野を広く持ち、柔軟な考え、感受性を養わなければならないとありました。
これらは映画や本、美術品等の考えて楽しむものを嗜好にしている方々は伸ばしやすいのかなと思いました。
実際、映画や本、美術品等を嗜んでいる人の話し方には語彙力以上の教養を感じる瞬間があり、繋がりはあるのかなと思いました。
"教養とは、人が一生をかけて追求するべきものであり、大学で身に付ける教養は幅広い基礎知識など、問題発見のための力であると学んだ。これからの大学生活で教養を伸ばしていくために、知識を増やしていくだけではなく、確立された知識に対して疑問を持ち、批判的に思考する批判的、論理的思考を磨いていきたいと考える。そのため、本を多く読んでいきたい。
"教養について大まかな定義はなんとなく知っていたけど、教養とはなにか、教養を伸ばすために必要なことをしっかりと学ぶことができた。
"教養を得るためには人から教えてもらうのではなく、自分からアンテナを張り、興味のある事柄について深く考えることが大切だと思いました。
言われたことだけではなく、自分で問いを見つけていかなければならないことを知れた。
高校までの勉強とは異なり、大学ではすでに確立された知識に疑問を持ち、批判的に思考し検証する学修が必要だとわかりました。私はまだ大学での学びのなかで批判的に思考することができていません。普段本をあまり読まないのですが、たくさん本を読んで批判的思考を鍛えたいと思いました。
今まで、すでに確立された知識は間違っているはずがないと勝手に思い込んでしまっていることが多く、それに疑問をもって思考し検証していくことはあまり無かったので、そのスキルが必要になってくる大学の学びは少し大変だなと思いました。最初のうちは慣れなくて難しいと思いますが徐々に慣れていきたいです。
今回の学習では知識を自分から見つける大切さだったりを知りました。自分が受け身になってるだけではダメで自分から動くことが新しい発見を見つける近道だと感じた。
"今回の講義で、教養の大切さについて学んだ。教養を身につけることにより、正しい知識を身につけて、現在や就職した際に役に立つ。私は、文字を読むことが苦手で読書が苦手で現代文が苦手で、いわば現代人の代表例なってしまった。そのような私を変えたいと思い、今回の資料を参考にしながら、課題図書を読み進めたいと考えている。"
"今回の講義で、大学生になると今までの学生生活とは違い問いへの解決だけでなく、自分自身で問題を発見して解決出来る力を養っていく必要があるということに気づきました。そのためには教養を身につけ、物事を客観視できん人間になりたいと思いました。"
今回の講義は、学習の仕方を中心的に学んだ。講義でもあったように、大学は高校までの学習と違って、既にある答えを教わるのではなく、色んなことに、疑問を浮かべ、学習し、考察して、自分なりの答えが出るように、自由に学ぶところである。しかし、どうしても講義の時間90分間ぼーっと聞いてるだけで、大学の学びとして勿体ない時間がそこそこあるのが自分の中での課題と言うより、ダメなところだ。ひとつ論点でも「この先生はこう言ってるけど、自分はどう考えるかな」など、考える時間を設けて、少しでも有意義な時間を過ごしたいと思う。
今回の授業で、自分が大学生になったからには、自分から考えて動くべきだと感じました。将来自分がやりたい仕事は、大方決まっているにで、実現に向けて勉強したり、専門的な本を読んだりと、工夫をしていきたいです。
今回の授業で、大学での学習法について改めて学ぶことができた。大学での学びは、高校の学びとは異なり、基礎知識や基礎的な考えを学ぶのみならず、学んだ知識に疑問をもち、批判的に思考し検証することが必要だと理解した。また、問題発見のためには、理解力、洞察力、思考力、感性を大学の学びのなかで養い、多角的にものを見る力を身につけていくことが大切であるとわかった。
"今回の授業で1番記憶に残ったのは社会福祉は心理よりも長い目で見て覚えることでした。社会福祉・ケアの方法を社会福祉実践の3層構造で見た時に心理は臨床までですが、社会福祉はそれに加えて運営管理と政策まで見ないといけないということを学びました。"
今回の授業では、社会福祉とは何かという基礎から学ぶことができた。授業で出てきた本も早く読んでみたいと思った。*鶏の話少し怖かったです(>_<)
"今回の授業では、大学の学ぶ姿勢について、知ることができた。今年3年生になって、大学の学び方がわかって、余裕が出てきた。だが、授業を鵜呑みにしていたことに気づくことができた。授業に対して、疑問がないために、わかった雰囲気になっていた。自分の思考力を向上させるために、授業をしっかり聞くのはもちろんだが、疑問を持ち学びを深める学習をしていきたいと考えた。"
"今回の授業では、大学生としての勉強の取り組み方と本の読み方について学びました。まず、大学生としての勉強の取り組み方としては、『教養』という言葉がキーワードになっていると感じました。その中でも高校と大学との比較がメインとなっており、『自分から物事に対しアンテナを張り、見極め、疑問をいだく』これがとても大切になっていく改めて意識することができました。個人的にこの話の中で、理解力は筋トレと一緒と聞いて身近なものに例えられたことによってクスッと笑いました。個人的には美術館巡りや映画鑑賞が好きなので、感性も更に極め、深掘りをしていきたいと思いました。本の読み方に関しては、『正確に読む』ことが大切だと改めて思うことができました。授業の内容を踏まえ、課題に取り組みたいと思います。"
今回の授業では誰かがやってくれるとかではなくて自分で調べものをしたりして新たな発見や知識を見つけることが大事だと思った。
今回の授業では福祉やケアの重要性や担い手をどう考えていくかということがよくわかった。教養を伸ばすためのポイントの重要なところ
今回の授業の教養を伸ばすためにはという部分で私は心理学部と社会福祉学部のどちらにも興味があり社会福祉学部へ進学しましたが、今でも心理学にも興味があるので心理学へのアンテナも張りつつ社会福祉へ繋げられるようにしたいです。
今回の授業の中で教養の話がありましたが、自分も年相応の教養が身についた人になりたいと感じました。
"今回は、大学で学問を行う者にとって最低限必要な技術であるアカデミック・スキルズ、変化に富んだ時代を生き抜き、豊かに生きるために人が欠くことのできない教養の概要と伸ばす方法、与えられたテキスト(文章)を正確に読み、自分なりの理解に移し替え、それを他の人に分かるように表現し、自分なりの問題提起から、否定、賛成、代案に至る道筋 を論理的・実証的に示すクリティカルリーディングなどを学びました。これらを学んで思ったことは、2つあります。
1つ目は、教養というものは、多角的にものを見て自らを客観視し、問題 発見をしながら正しい道を見出していけることで、人が一生をかけて追及するべきもの、変化に富んだ時代を生き抜くために、豊かに生きるために人が欠くことのできないものが教養というものであるため、我々人間として最も重要で必要な要素であるということを感じました。また、教養を伸ばすためには、「なぜ」が大事で、他人にそれをどう説明できるかということが大事であるとわかりました。
2つ目は、クリティカルリーディングの内容については、中高校生の時から学んだ現代文の学習が基礎になり、読み方や理解するためのやり方は、今まで学んだものとほぼ同じことを使いますが、それではクリティカルリーディングにならず、その本に書かれた内容が正しくないかもしれないと思って読むことや、その本の考え方と自分の考え方は違うという独創性やオリジナリティを持つことが必要だとわかりました。ただこれは簡単ではないと思いました。"
"今回は、本の読み方・話の聞き方・メモの取り方・予習の仕方、といった学習法について学んだ。基本的な部分だが、講義を受けるうえで重要なことでもあり、自分の学力向上にもつながるので、改めて重要なことだと感じ、より一層真剣に取り組むべきだと感じた。"
今回は社会福祉について詳しく教えられ学ぶことができた。これから社会福祉をまなびながら、自分なりにできることを増やしていきたい。
今日2回目の授業を受けて、教養を伸ばすためにはアンテナを張ったりテーマを見つけたり、様々な方法があるのだと知ることができ、ちょっとした時間に自分も教養を伸ばすために考えてみたいと思いました。また、先生の話を聞いていると、本を読むことの大切さを知ることができたと思います。
今日の授業で批判的に思考することの大切さの話を聞いて自分は今まで受け身で学んできたのだなと思う部分がありました。大学の授業は資格を取るためだけの授業ではないので一回一回の授業で自分の疑問点を持つなど積極的に学ぶ姿勢を大事にしたいと思いました。
今日の授業の中ででてきた「環境」とのかかわりの中で生きている人々を支える学問、仕事が社会福祉・教育と分かり勉強になりました。
今日の授業を聞いて、先生が言った事を全部信じるのではなく自分でその答えが合っているのか考え自分の力で答えを見つけていきたいと思いました。
今日は、大学での学習法と社会福祉・ケアの対象について詳しく学びました。普遍性や多様性、ICFの視点など詳しく学ぶことができたのでよかったです。課題も出たので、期限内に終わらせられるように頑張りたいと思います。また、デジタルとの付き合い方で、私はパソコンやネットが苦手なのですが、それぞれを使いこなさないとダメなのだと改めて感じました。頑張って慣れさせて使いこなせるように頑張ります。
今日は学習法入門でした。4月から大学生になり、高校生とは違う部分がたくさん見えてきました。高校までの学びと異なる点は確立された知識にに疑問を持ち、批判的に思考を検証するということです。思い込みはせずに、違う観点から物事を考えたいです。
参考書や読むべき本を選ぶ際に基礎となる単語力を持ち備えておくことが重要なことを今回の授業で知りましたが、確かに、見出しを見てもなんの内容だか分からないままに本を読み進めてしまう時があったと、これまでの読書を反省しました。この見出しから想像するということも、思考力を高める練習だと思うと、本当にまだまだ自分は未熟なんだということをこの授業を受けて気付かされました。今後は本を読む時は思考するという所に注意して読み進めたいです。
子育て支援のボランティアがありそれにすごく興味が湧いた。社会福祉は狭いと思っていたけど心理より広いことをしたら安心した
子福なので社会福祉関連の学習をあまりしたことがないのですが、授業を受けてみて興味が出ました。
私が今回の授業で印象に残った言葉は、教養とは人が一生かけて追求するべきものであるという言葉です。教養を身につけることで多様性への理解が広がり、自分の生きている世界を広い目で大きく見ることが出来ます。きっと生きることが更に楽しくなるのでは無いかと思います。教養は先生も仰っていた通り本を読むなど身近なことから伸ばすことが出来ます。社会人になる前に本やボランティア活動などたくさんの考えや行動、思考と触れ合って自分の教養を伸ばしていき、社会に出た時に様々な問題に対応できるような大人になりたいです。
私の家の周りにも発達障害の子やみんなと一緒のことができない子など様々な子がいます。自分にはまだなんも知識がなくどう接しるのが正しいかなど分かっていないのですが、それぞれの子の個性を理解して今後どのように接していくか、もっと自分が成長して理解していけたらいいなと思います。
私は、講義などの座学に留まらない、実際の経験が織り交ぜられた教養が福祉では何より大切だと考えます。そう考えた理由は、第1回目の授業で学んだ福祉の理論を、自分の中に落とすことが非常に難しかったためです。私はこの原因を、自身の福祉に対する経験の不足によるものだと感じました。これからは福祉に関わる多くの経験(ボランティアなど)をして、学んだ福祉の理論を自分自身の教養にしていきたいです。
私は全学部で心理と社会福祉で迷っていたのですが、社会福祉学部にして良かったなと思いましたり
"私は普段、確立された知識に対して疑問を抱かず、正しいものだと思い込んで生活している。大学生では、疑問を持ち、批判的に思考し検証することが必要であり、この力はこれからも必要になる力であることを学んだ。今日から色々なものに疑問を持ち、なぜそうであるのかを考えながら自分の力で答えを見つけ出せるようになりたい。"
"自分がどのような人間なのか、よく熟考することがあるのですが、それを経て数年前に比べてだいぶ成長したという自覚があるので、私がやっていたことは間違ってなかったんだなと思いました。自分のことを知るということは、より良く生きるということに直結すると感じます。"
自分が何をしたいのかをしっかり考えたいと思った。
自分で問いを探してその問いについて自分で考えるということは難しいことだと思うけど、大学生という自覚を持って頑張りたいと思いました。
自分で問いを発見することは高校と違って自ら研究する・みつけることなので大事だなと感じました。
自分と自分の周りの社会との関係が少し客観的に整理することができました。
自分にとっては社会福祉の基礎の復習になるだけでなく、本の内容の読み取り方のコツも教えていただけそうなので、しっかり身に着けていきたいと思います
自分も教養を身につけて、一人前の大人になりたいと思った
自分も正直、授業を受ける前までは社会福祉学より、心理学の方が頭がいいとか幅が広いとか思っていました。ですが今は、社会福祉学と心理学の違いを学べて、社会福祉学をより好きになることができました。介護はかわいそうなことではない。
自分も大学の図書館に入って本を見た時に全然理解が出来ない題名の本がたくさんあって焦っているところなのでもっと多くの知識を蓄えようと思いました
自分より多くの時間を経験している人の話はとてもためになるので活かしていきたい。
"自分を成長させるために教養を得ることが大切だと学んだ。普段から色々なことに挑戦し、教養を伸ばしたいと思った。"
社会福祉、ケアの対象の健康状態はICFの視点からだと生活機能、背景因子に規定されることがわかりました。支援するには教育、地域づくりと環境とをつなげるのを手助けすることが必要なのだと感じました。
"社会福祉・ケアの対象は特別な理由を持っている人だけではなくどんな人でも支援を受けられること知りました。このことで、私が将来ソーシャルワーカーになった際は支援するだけでなく支援を受けれる立場でもあることを知りました。大学生になりまだ慣れないことが多く、勉強方法もわからないです。新井先生のおっしゃっていた自分で問いを見つけるのはまだできそうにないですが、今後学んでいき見つけていきたいと思います。
"社会福祉といっても、より深くまで学ぶと社会福祉だとは思っていないようなものも社会福祉と関連のあるものなのかもしれないと知った。まずは問題を発見できるための教養を身につけることが大切だと知った。自分は文庫の小説しか読まないので、知識について学ぶことのできる本も読もうと思いました社会福祉といっても心理など色々なことに関係していることが分かりました。また、社会福祉について学ぶのが楽しみになりました。
"社会福祉についてわかった。障害者でも一人暮らししていてすごいと思った、普通の人が暮らすのでも大変なのにさらに大変なことにチャレンジしてる勇気に尊敬した"
社会福祉のケアは普編性と多様性で誰もが生活できる世の中で生きているんだなと思いました。学校に行ったり環境や教育などで、社会福祉や地域づくりになっているんだなと思いました。
社会福祉の基礎的な図などを知れた。教養など、もやはり社会で必要なんだと思った。本などを読んで沢山のことを知ってみようと思う。
社会福祉の入門というより、大学生活においての入門が兼ねられているように感じたので、1年生の自分としてはすごい有難い内容だった。基本的な知識、言い換えると事の基盤となるものが無いと応用の内容が分からないのは当然なことで、自分が興味があるものがあるのなら、自主的に知識を蓄えていくべきなのだなと改めて感じた。規定された文でもそれについて自分なりによく考えた時、疑問が出てくることもこれまで生活していく中で経験したことがあるので、これを追求することが出来る大学は自分に向いているなと思った。
社会福祉はとても広い範囲に渡っていることを知りました。どのような教養が必要なのか、そのために何をすれば良いのかを細かく詳しく説明してくださって自分でも早速実践してみようと思いました。
社会福祉実践の3層構造についてや環境との関わりの中で生きている人々を支える学問、仕事が社会教育であることなど詳しく理解することができました。課題の方にもしっかりと取り組んでいきたいと思います。
書籍を読み進める意義と読み進め方について、4年生ながら改めて理解することができました。オレンジリボンサークルのPRもさせていただき、大変ありがとうございました。
障害者の方でも一人暮らししていてすごいと思った。普通の人でも大変なのにそれにチャレンジすることがすごいと思った
色々な本を読んだりして教養を身につけるために、多角的なものの見方や問題を解決できる力を身につけたいです。
心理学科と社会福祉学科では、心理学科では、臨床の部分を重点的に学ぶことができますが、社会福祉、ケアの方法の地域社会に暮らす人々で見てみると、全体的に幅広く社会福祉学部では学ぶことができるので、これからのでより深く学ぶことができるので楽しみです。
人は、誰もが 様々な生活課題の重なりやグラデーションの中で生きているということを知り、一人ひとりにあった援助を行う必要の重要性を知りました。
人は言われたことをそのまま信じてしまいがちですが、その言われたことに対して時には疑問や批判をもって考え、知識として取り入れていかなければいけないなのだなと、今日の講義を聞いて感じました。そして、教養についても考え直してみようと思いました。待つのではなく自分から取り入れに行くことを念頭に考えていこうと思いました。
人は様々な生活課題の重なりの中で生きていると考えると他人の気持ちや考えを尊重するのは大事なんだなと思った。
人は様々な生活課題の重なりの中で生きていると考えると他人の気持ちや考えを尊重するのは大事なんだなと思った。
世の中は常に変わり続けるため、それに対応するためには教養が必要となる。そのため自己覚知を行い、理解することで社会のなかでも多角的な視点から考えることができるなと思いました
生活していく中で、様々な人々が色々なニーズを必要としており、それらを認識しながら社会福祉を勉強していくことが大切なのかなと考えた。必ずしもどこかの枠組みに属し、それらの特性を理解していく子が必要なのだと考える。
先生の選挙の話や鶏を捌ける話など小話がとても面白かった。社会福祉や心理学などの話もなるほどなとなった。半年間よろしくお願いします。
前まではコンピューター系は「苦手」でしたけど、今の時代にはコンピューター系が絶対に必要となってくるので、その苦手意識はなくせるようにしていかなければいけない時代になってきたのだなと思いました。
前回の振り返りから授業が始まったので、内容を再確認できてよかった。新書を読む機会が無かったので、これを機に読んでみようと思う。批判的な視点で捉えることも忘れずに。
大学での学びは、高校までの学びとは違うということが分かりました。知識や考えを学んで終わりにしてしまうのではなく、そこから自分の考えを確立して、場合によっては批判的な見方をすることが大切なことであると分かりました。また、教養を伸ばすためにも、アンテナを張り、あるいは本を読んだりなど、前向きに積極的に取り組んで行きたいと思いました。
"大学での授業の受け方や姿勢を改めて学んだ。3年になり、もう一度授業の受け方や学びの向き合い方見直そうと思いました。"
大学での調べ事は本以外にインターネットもある。インターネットは偽の情報が簡単に出てくるため、多くの情報を吟味し正しい情報を見抜く力が必要となる。
大学では、高校と違い自分がアンテナを張って勉強していかないと教養を身につけることができないなと思います。自分から率先して活動していけるようにしたいです。
大学では自発的に動いて学習しないと大学に来てる意味がないと思いました。
大学で学問を行う上で大事なアカデミックスキルズを学んだ。これまでの学問と異なる点に気づきを得ながら学びを深めていきたい
大学と高校までの学びの違いとして知識に疑問を持ち、批判的に思考し検証することの重要さが1つにあると知り、最近はSNSの普及により様々な情報を目にすることがあるため、「疑うことから入る」ことは何事にも大切だなと思いました。
大学においての勉強の仕方、また授業の姿勢を改めて考えさせる授業でした。
大学の勉強において批判的思考を持ちながら自分自身で問題を見つけその本質を見極めながら学んでいくことが大切だとわかりました。レジュメのテキストの読み方や要約の方法を参考にしながら課題に取り組んで早く慣れられるようにしたいです。
大学も高校と同じで、学問分野の基礎知識などを覚えるだけだと思っていたのですが、今回で大学は知識に疑問を持ち、批判的に思考し検証するということが大切だということを新しく学べました。
"大学生として常にアンテナを高くしているというのは凄く大切なことだと感じた。自分で情報を得ていかなければならないためアンテナは常に高くしている必要があると感じた"
大学生の基本を学べて良かった。
"大学生は自分で問いを発見することが大切だということかわかりました。さらに、自分がどんな事柄に興味があるのかアンテナを貼り考えることで教養を伸ばすことにつながるということがわかりました。"
単に基礎知識、基本的な考え方を身に着けていく高校の学びとは異なり、知識に疑問を持ったうえ、批判的思考を用いて学んでいくことがこの先必要であることを改めて知ることができてよかった。また、大学で教養を身に着けていくにあたって様々なものに興味を持ち、疑問を持ち深く学んでいきたいと思えるような分野をこれから見つけていきたいと思った。
知識に疑問をもち、批判的に思考することで、自分なりの疑問をもつことができることがわかった。変化の激しい社会だからこそ、ただ知識を蓄えるだけでなく、問いをもち、自ら問題解決していくことが必要だと思った。自分自身の豊かな生活のために、教養は必要不可欠であると学んだ。
知識に疑問を持って自分で問いを発見することを学びました。
追加履修したため第1回は出席できませんでしたが、これから今までの自分の学びはどうだったのか確認しながら授業を受けていきたいと思います。
普段あまり気にしたことは無かったが、ニュースや新聞、周りの人々にもっと興味を向けてアンテナを張り、様々な視点から社会福祉に関しての考え方や教養を学びたいと思いました。
物事を理解し、それを批判的に思考できるようにしていきたい。また、アカデミックスキルズの本を買って読んでみたいと思った。
文献を読むことを通して教養を伸ばすためのコツや大事な事を探し出すという力について学ぶことができました。
本、参考書を読むときにはこれまでは作者の主張を鵜呑みにしてしまっていたのでこれからは批判的・倫理的思考を持って読みたいです。
本を読まないといけないので家帰って読みたいと思いす。本を読むのは苦手なので何とか頑張りたいです
"本を読むことで自分の知識が増え、考え方が客観的になったり、思考力を身につけることができるので、多くの本を読もうと思った。また、卒業するまでに多くの教養を身につけたいと思った。"
本を読むことの大切さと、デジダル化が進む世の中で機器を取り扱えるようになる事はたいせつだとかんじた。
"本を読むことは大切なこと。題名で内容を理解できないようではまだまだ未熟ということ。教養を身につけることが大切。"
本を読むのは大学生は当たり前だということが改めてわかりました。小説とか読むの苦手ですが頑張ります。
眠かったが何とか寝ずに話を聞けた。
第1回 オリエンテーション 5つの地図
【授業内の問いかけ:「社会福祉」のイメージは?:ワードクラウド】
【「社会福祉」のイメージは?:個々の記述を紹介します】
高齢者、児童、障がい者
高齢者、障害者の生活支援など
生活をサポートする
高齢者
介護支援とは違い、法律や条例など社会的な資源を活用しその人の課題を解決に導く福祉
人間が幸せになるために必要なもの
障害者、高齢者、ユニバーサルデザイン、ソーシャルワーク、車椅子
介護、支援
障害者や子供から高齢者までの生活や暮らしをサポートすること
社会に住む人たちの暮らしを良くするシステム
地域の高齢者の方や経済的に障害のある方を支援する
身の回りだけでない地域全体を支える福祉
最低限の生活を送ることができるよう、利用者の強みを見つけ、支援していくこと。
社会全体への貢献
様々な子どもや高齢者に対しての支援
福祉士や、介護福祉など社会に関係のある仕事をしている方々。
支援が必要な人の心と環境を改善するだけでなく、取り巻く関係者などにも支援をする
介護
ボランティア、児童福祉、高齢者福祉、児童福祉施設、
子供やお年寄りを助ける
支援が必要な人を助ける
介護、障害、高齢者
介護
"社会的な資源を使いクライアントの課題を解決できるように支援する福祉
高齢者
地域全体を支える福祉
高齢者を支える
介護、知的障害、発達障害
老人ホームや施設などで高齢者の介護をする。
人々の暮らしをより良いものにするためのもの
介護
助けが必要な人を助ける
高齢者福祉 子育て支援 障害者支援
社会福祉士、精神保健福祉士などの職業
高齢者介護、障害者支援
高齢者の手伝い
高齢者の援助、介護
介護や社会福祉士など生活に問題を抱えてる人を支援しサポートするイメージ。
社会のため,人のために尽くす
誰かの助けになることをする
支援する
社会の中で弱い立場にある人達を支援する
困っている人の役に立つこと。
健康、助け、大変、人と繋がる仕事、医療とは違い、予防する?みたいな感じ
困っている人をあらゆる角度から支援する
介護
人を助け、人接する事
社会支援
人々が不自由なく生活できるようにすること
人・モノ・仕組みの連携調整
障害者や不自由
介護 老後 優しさ 手助け 公序
高齢者や施設、サービス
"相談支援、ケアワーカー、地域福祉、社会福祉協議会、自治体、障害者、高齢者福祉、相対的貧困
"ソーシャルワーカー、ケアワーカー、地域福祉、相談支援、生活困窮、社会福祉協議会、貧困
高齢者や障がいを持っている人、貧困の人々などに対して、支障無く生活できるように支援をすることが社会福祉だと思う。
高齢者、障がい者、地域の方などのサポート
"ボランティア、子ども、ソーシャルワーク、
障害者、貧困、高齢者"
"人を支える 人のケアをする 寄り添う"
いろんな世代の人と関わる
"社会をより良くする、みんなが幸せ"
ケア
教育 地域づくり つながり ソーシャルワーカー
人との関わり!!
様々な人と関わりながら支えていくこと
介護 相談 ニーズに応える、考える 地域包括支援センター
すべての人が最低限の生活が送れるように社会が支援すること
社会における福祉について
生活していくのが困難な人を支援する
老人ホームなど、人間が生きるために必要な大きなくくり
誰かを支える
対象者のニーズに対して様々なアプローチを行うこと
介護施設
保健室の先生
"障害者や高齢者の支援 税金 社会保障"
高齢者 児童福祉 障害者
生活が困難な人の手助けや、力になることをする。バリアフリー。介護施設。
高齢の方のお世話など
高齢者や障害者のケア
"日本の社会内容について 社会に貢献すること"
"幸せな生活を送るために、ひとやものなど、様々なものを支えること
"介護や障害者への支援など、人の手助けを行うイメージ
援助、ICF、意思疎通ができる、誰にでも関わること
"地域に住む人や障害者だったりどの人にも必要となるものであること
"高齢者や障害者などの介護 介護や地域へのサービスなど、社会的支援
バリアフリー
自分自身が社会に対して、福祉の面でどのようにサポートするか
社会全体を支える、サポートすること
平等の社会を作るもの
社会の中にいる人たちが暮らしやすくなり、みんなが差別なく楽しい生活が送れるようにするために活動すること
地域や生活
介護、地域に貢献する
困ってる人を助ける、高齢者施設や児童福祉施設などの仕事など人の役に立つ仕事
支援、ケアをすること。
お年寄りの方や、障害を持つ方を含む多くの人が生活しやすくなるもの
人のために尽くす。
介護をイメージしますが、社会を福祉するということはつまり、社会を幸せにするということです。
その人に合った暮らしを実現するために必要なこと
社会をより豊かにするために手助けをするイメージ
クライエントの意志を尊重すること
自力で生活するのが困難な人を助ける。
人と関わること
すべての人が安心して幸せに生活できるように支援や助言等を行う
さまざまな人に寄り添う
福祉
高齢者
"高齢者 人に貢献する 助ける
困っている人を助ける
障害者や社会的に弱い立場にある人の相談に乗ったり悩みを聞いたりする仕事
困ってる人を助ける、高齢者施設や児童福祉施設などで働く事
"高齢者 介護"
困っている人の手助け
人助け
介護、アセスメント、生活保護
全ての人が幸せになる
多様な人々がそれぞれ自立して生活できるように支援すること。
【授業の感想】
この授業を受けて思ったことは、2つあります。1つ目は、これまでに社会福祉原論や地域福祉論などの授業を履修し、ICFの視点、政府・自治体、非営利ボランタリー組織、市場、コミュニティなどの社会福祉・ケアの担い手、ミクロ・メゾ・マクロという社会福祉・ケアの方法といった内容を学んだことを思い出したと同時に社会福祉の知識を初心に戻り、改めてこれから学ぶことはとてもよいことだと感じました。2つ目は、授業の目的が、様々な生活課題のある人々の「想い」と「背景」に寄り添い、そこから得られた自らの感情を説明できること、様々な生活課題のある人々と「社会」との関係性について理解し、説明することができること、本の精読、教員やゲストスピーカーの講義から「学び」を獲得する方法を身につけ、授業を通じて運用することができることなどと知り、授業のタイトルは入門ですが、社会に出て特に重要な応用だと感じたため、これらを忘れないでしっかり学びたいと思いました。
社会福祉の入門と聞いてどんなことをやるか最初はわかりませんでしたが、社会福祉には見方があることを学びました。これから社会福祉の入門もをしっかり学びより理解を深められるように頑張ってまいります。
社会福祉の「対象」、「担い手」、「方法」の見方をポイントごとに挙げられて分かりやすくなっているが、内容が難しいと感じたため教科書をよく読み授業で理解出来るよう考えてこようと感じた。
町の特徴である温泉を、雪かきボランティアをしてくれた人を温泉に入る時に割引にする、地域の特色を生かして高齢者が多く自分たちで雪かきができない人にとっても良いし、雪かきに来てくれた人は温泉に安く入れたり、観光で街に来れるから良い地域支援計画だと思いました。
正直分からないことばかりだったけれども自分で調べたりして深く学んでいこうと思った。
今日の内容では社会福祉の「対象」の見方におけるICF(国際生活機能分類)の視点に興味を持つことができた。環境因子の他にも個人的には活動(生活レベル)が私たち人身にとっては当たり前で見落としがちな内容に思えたので注視していきたい。
ICFの視点について、生活機能と背景因子の二つにわかれ、心身機能・構造、活動、参加の三つのレベルは互いに影響しあい、地図を見ながら対象、担い手、方法のそれぞれの見方について学んだ。
先生はとてもユーモアがある。カリキュラムは内容が豊富です
社会福祉のことについてまだあまり知らないことが多かったので,大まかに知れてよかったです。1年間よろしくお願いします!
社会福祉がどのような人にどのような人達が関わっているか、どのような構造になっているか、何となく知ることが出来た。
少し難しいところもありましたが、これからやっていくうちに、理解していきたいと思います。
地図を頼りに頑張っていこうと思いました。
社会福祉の5つの基本について知ることができた。
地域福祉で学んだことを活用できると思った。中間レポートと期末レポートが成績に関わるため、今からしっかり学びレポートに落とし込めるように頑張りたい。
これから深く学びたいと思った
今回の話を聞いてこれからしっかりと知識を得て学を深めるべき科目だと思いました。
社会福祉のケアの対象の見方についての普遍性や多様性についてのことやICFの視点や背景因子としての地域社会についてや担い手についてなど知っていたこともあったが改めて説明を受けらことができとても良い学習となりました。
今日はオリエンテーションでした。社会福祉の入門の目的は社会全体で社会をケアしたり、社会福祉を学ぶための地図を手に入れて研究を進めることであります。地図について、社会福祉の対象、担い手、方法の見方について学びました。また、社会福祉・ケアの担い手で、地域を支える4つの主体で、政府・自治体やコミュニティ、非営利・ボランタリー組織、市場で生活ができるように成り立っていることがわかりました。次回も頑張りたいと思います。
はじめての社会福祉の入門の授業でしたが、思っていたよりも難しいと思いました。理解するのに時間がかかりそうですが、その分頑張りたいです。
社会福祉について色々な視点から学ぶだことができて難しいと感じたが、さらに深く知っていきたいと思いました。
福祉について様々な見方を知ることが出来た。
たくさんの図があり、見やすかったです。
90分の授業長かったです。内容も難しく大変でした。
地図を使っての授業とても面白かったです!
本を読む前提の授業も面白いそうだと思うので楽しみです!!
社会福祉はどういうものなのか、1から考えることができた。内容は難しかったけど自分が社会福祉と関わっていく上で考えるべきことが少し分かった。
今まで考えたとのなかったこともあって考えさせられる授業だった
ICF視点や4つの主体など、これまで新井先生の他の授業で教わった内容を復習するつもりでしっかり確認していきたいと思います。今年度もよろしくお願い致します。
社会福祉という言葉を多々聞いたことはあったが、5つの地図を通し僅かではあるが知識を深めることができた。
これから先の授業で更に社会福祉についての知識を手に入れたいと思いました。
社会福祉のまさに入門、学びの根幹となるものを自分の中に落とすことができました。次回以降、これらを自らのものにできるようにしていこうと思います
地図を見ながら今後の授業で出てくる事柄に対して勉強していこうと考える
社会福祉がなんなのかがなんとなくわかることができた。
とてもわかりやすかったです。
今回の資料をより深く理解できるようしっかりと読み込んでいきます。
3年になって社会福祉についておさらいする機会に講義を活用したいと感じた。
聞いたことなないような言葉が出てきて戸惑ったがこれからそれを勉強するため楽しみです
社会福祉の「対象」の見方、社会福祉の「担い手」の見方、社会福祉の「方法」の見方という地図のことについて理解が深められたので良かったです
ケアの対象の「普遍性・多様性」についてがとても印象に残っています。可哀想な人だけが対象なのではなく,誰もが対象だということ。複雑な問題が絡み合っていること。一つの問題だけではないし、みんなが当事者ということを知り,今まで私が認識していたものは間違った認識だったのだなと気づきました。
社会福祉の内容がとても深いことが分かりました。1回目の授業では全部理解することが難しかったので今後の授業で学びを深めていきたいです!
もっと福祉について詳しく学びたいと思いました。
集中して聞くことができたのでよかったです。
「社会福祉」と言ってしまえば一言で済んでしまうのが裏にはこんなにも様々な事柄が関係して成り立っていると言うことが今回の授業で分かりました。
ケアの対象になるのは人だけではないことや、またその対象のニーズに応えられるようになるためにしっかり学んでいきたいと思います。
社会福祉についての基礎的な考え方や、授業の受け方についてよく理解でき興味深かった。次回授業も都度解説があると嬉しい
大まかに把握していた社会福祉の概要が分かった。子供会の時に、ご老人の方々を集めてお楽しみ会を開いたことがあったが、それは非営利な活動に入るのかなと思った。
雪かきボランティアに参加してみたいと思った
3年生なのですが、1から復習しようと思い履修します。第一回目から包括内容を講義下さってこれから吸収しなければならない内容がわかりやすいです。
社会福祉の対象や担い手、方法などと自分のやりたいことを照らし合わせて進路を考えていきたいと思います。
非営利などの言葉の詳しい意味を知らなかったので、1番驚いた。また、社会福祉と言っても色々な考えがあり自分の考えも1つの答えとして大事にしたいと思った。
今日の授業では様々な要因、役割が重なってそれぞれの環境が成り立っている事が分かった。
今回の授業で「対象」をICFの視点、新新機能、活動、参加など多様な視点から見ること、対象、担い手、方法を学びました。また、ニーズを把握する他、ミクロ・メゾ・マクロは社会福祉実践の3層構造になっていることを知り、少し疑問に思いました。ミクロ・メゾ・マクロは経済学でしか学ばないと思っていました。(ミクロ経済学など)しかし、ここでも出てくるのは意外だったと感じました。社会福祉の対象、担い手、方法の見方をしっかり理解することが大切だと思いました。その人個人だけに焦点を当てるのではなく、環境や周りも、しっかり見なくてはいけないのだと思いました。
今日の授業はオリエンテーションでしたが、これから授業受けて、社会福祉について学んでいきたいと思います
社会福祉が改めて誰にでも適応されていると感じることができました。そして、5つの地図に関しては大学から社会へ行ったときにも心に留めておきたいと思いました。今回のことが更に細かく説明していただけると思うと楽しみです!
社会福祉についての基礎となる内容を高校では触れられないので初めて学べてよかったです。
今まで自分が思っていた社会福祉のイメージが変わった。もっとしっかりと考えなきゃいけないと思った
初めての授業ということもあり緊張もありましたが落ち着いて受けれました。
社会福祉の大まかな部分について5つの地図を用いて学ぶことが出来た。
まだ履修していなかったことに気づき、今期で取ったのですが、福祉における基礎の部分から改めて学び直すことができ、自分に知識の穴埋めができたと感じました。
社会福祉についてや5つの地図を知ることができ仕組みについても学ぶことができたのでとても興味を持って話を聞くことが出来ました。
社会福祉は特定の人たちでなく、社会全体をケアするものだと知ることができました。対象や担い手・方法も様々な見方があるので、これからくわしく知っていきたいです。
とても興味があった内容なのでとても楽しかったです
福祉の意味を再確認させられるような授業でした。高齢者や障がいを持った人にだけではなく、誰にでも当てはまる福祉という問題に、私たちはどのような方向から取り組むことが出来るのかということを学ぶことができました。非営利が無利益であるという誤解も解消することもできて、今後の学習に活かすことが出来ると思いました。
社会福祉について深く知れた
福祉の専門的な部分に少し触れられた気がしました。これから実際の福祉の経験を積めばよりこの学びを深めることができると思いました。
ICF視点で社会福祉、ケアの対象を見ることが大切だと思いました。社会福祉、ケアの担い手を覚え、考えていきたいです。
社会福祉というものを何も知らずに0から始まるので1回目の授業だけでもパンパンになるくらい新しいことが知れました。まだ1回の授業だからこれからの授業が楽しみです。
社会福祉の対象の図を見て、様々な人々が重なり合って世の中は出来ているのだと再確認することができました。社会福祉というものがどれだけ大きなものなのかを改めて学ぶことができました。
これまで「社会福祉」について2年学んだが、今回「地図」というのを用いて「社会福祉」の見方を改めて教わった。
社会福祉の対象について、高齢者や貧困、障害を主に浮かべていましたが、誰もが課題を抱える可能性があることがわかりました。また対象の個人因子だけでなく、環境因子にまで目を向けることが大切であると思いました。
社会福祉の対象は人が主だと思っていたので、もっと視野を広げて様々な目線にたって社会福祉を学んでいきたいと感じた。
今2年生ですが、今回の講義で社会福祉とは何か改めて考えることができました。私は将来公務員を志望していますが、福祉と地方公務員の関係についても知ることができたのでとても勉強になりました。
地図を頑張っておぼえたいです。
社会福祉の印象として、「高齢者」「支援」などを単に想像していたが、社会福祉には三つの見方でとらえることが大切ということが分かった。三つに分かれた見方から、社会福祉を深く追及していきたいと思った。また、私は社会福祉は政治とボランティア団体を中心として行われていると思っていたが、「担い手」は四つの主体で作られていることが分かり、それぞれできる範囲の役割を果たしていることを学ぶことができて良かった。様々な視点から見ることで、今まで知らなかったことをどんどん知ることができて面白いと感じた。
将来的に公務員を目指しているので集合的ニーズの政策的把握がとても関係してることが分かりました。難しい内容が多かったですが理解できるように予習や講義を受けたいです。
社会福祉の目的、すべての人の普段の暮らしの幸せを実現するために社会をケアすることについて少し理解できた。これからもっと理解を深めたいと思う。
社会福祉は色んな用語だったり様々な役割の元で成り立っているんだなと思いました
5枚の地図を通して社会福祉の様々な見方とその説明、実際に行われている組織やサービスを例に説明してくださったため、授業を受ける前よりは「社会福祉」の理解に近づいた。
今後、5枚の地図と関わらせて「社会福祉」を学びたい。
相変わらず一言で説明できない社会福祉をキレイにモデル化すると、このようになるのだなあと感じた。
社会福祉の対象者と考えるのではなく、対象と捉えることを知り、改めて社会福祉は人に対してではなく、地域や社会全体に関わる学問だと感じた。自分が社会福祉・ケアの担い手としてどうして行きたいのか、どんなものに興味があるのかを考えていきたいと思った。社会福祉の入門の授業を通して、社会福祉学を身近に感じる第1歩を踏み出したいと思った。
少し社会福祉についてのイメージがつきました。
改めて社会福祉について知ることができた
臨床(ミクロ)運営管理(メゾ)政策(マクロ)は地域福祉の時にもやったので復習しようと思った。
社会福祉.ケアの対象は誰もが対象になり得る可能性があることを学んだ
今回の授業で、社会福祉とは環境とのかかわりのなかで生きている人々を支える学問・仕事であることを、改めて理解することができた。また、今回の授業で、人それぞれ、さまざまな生活課題を抱えて生きていて、誰もが社会福祉の対象であることを学んだ。そして、さまざまな生活課題を抱えた人々をケアするために、ICFの視点を用い、ケアの対象を、生命レベル・生活レベル・人生レベルから考える生活機能と、環境因子・個人因子から考える背景因子から理解し、ニーズについて考えることを、学んだ。
また、ケアの担い手として、1つ目に、公務員などが含まれる政府・自治体、2つ目に、大学や幼稚園、病院などが含まれるボランタリー組織・非営利組織、3つ目に、ウエルシアなどの利益を得たり株の取引が認められている市場、4つ目に、地域サロンなどを行うコミュニティから構成されていることを理解した。
最後に、ケアの方法の段取りとして、3つの構造があり、それは、個別ニーズを把握する臨床(ミクロ)、その個別ニーズを集合的に把握する運営管理(メゾ)、その集合的ニーズを政策的に把握する政策(マクロ)で構成されていることを学んだ。
今回の講義を受講して、社会福祉が身近にある存在だと感じた。昨年、新井先生の地域福祉論を受講していたので、5つの地図や用語など復習になった。特に、地図3の4つの柱を知って利用することにより、私たちは生活できていると感じた。私は、ボランティアに興味があるので、積極的にボランティア活動に参加をして、社会貢献活動を行っていきたいと考える。
今回は初授業でしたが、次回以降の授業からも社会福祉の入門の授業で更に詳しく勉強していきたいです
社会福祉の入門を通して、今の社会がどうなっているのかなどを様々な視点から学んでいきたいと考えた。
スクリーンで映し出されたものが紙として配られるのは家に帰ってから何回も見れるので助かります。
医療を受けながら独居で暮らす高齢者、精神疾患を抱えながら暮らす母と子供、不安定就労の若者、これらは誰もが起こりうるものだとこの授業で改めて気づきました。なのでこの様な方々を見かけたら自分の立場になって考えて寄り添おうと思います。
ICF(国際生活機能分類)という言葉を初めて知ったのでこれから覚えたいです。
入門より全容という感じで充実していた。
社会福祉について、1年生の考えがおもしろかった。やはり、福祉は高齢者の印象が多いと言うことを認識できた。
福祉について、2年間学び、復習に近い講義になっていた。だが、福祉の意義や役割について、再認識することができたと考える。ICFやケアの担い手など、すでに習っていることで既視感があったが、同時にそれだけ大切な知識であることを知った。この授業では、視点を変えて新たな学びの獲得と学び直しを頑張りたいです。
これまで学んできた「社会福祉」の復習、定着ができるよう社会福祉の入門を受講したいと思いました。
授業前に感じていた自分が思う社会福祉とは少し違う社会福祉とは何かを知ることができた。
「対象」「担い手」「方法」「因子」などの様々なキーワードが出てきたが深い説明も多かった。少し理解が難しかった部分もあるので、次回までにしっかりと探求して理解を深めていきたい。
社会福祉とは何かがわかった。
社会福祉の「対象」の見方、社会福祉の「担い手」の見方、社会福祉の「方法」の見方がわかり、今日のポイントだったから覚えておきたい。
社会福祉には、様々な見方があることがわかりました。一番関心を持ったのは、「対象」の見方のところで、全体を通して理解はしきれていませんが、背景因子と生活機能の結びつきがあって、それぞれの条件次第で支援方法なども変わってくるのかな、と思いました。
社会福祉は可哀想な人のためではないということがとても印象に残りました。地図を使って詳しく仕組みがわかりとても勉強になりました
難しそうだけど自分の興味のある学問なので頑張りたい。
今回の授業では初めて聞く言葉が多くてしっかりと理解することは難しかったのですが、社会福祉を学ぶ上で重要な事だと思うので、今後の授業を通して理解を深めていきたいです。
社会福祉の入門という講義の通り、社会福祉の基礎的な事や5つの地図について知る事ができた。社会福祉とは自分が考えていたものより、とても深く難しいものなのだと感じた。
社会福祉のケアにも様々な人がおり、その中でどのようにケアをしていくかなど、地図を見ながら、学ぶことができ、よりもっと深く学びたいと思いました。
自分の知らない社会福祉の視点がまだまだ沢山あることを知った
社会福祉の入門での講義の進め方や評価方法について理解できた。昨年履修した地域福祉論で学んだことと繋がっているところがあるので、地域福祉論で得た知識を活かして講義に取り組んでいきたい。
社会福祉が人の暮らしを支えるにあたり、様々な角度で支援していると知った。
ICFの状態を考察するようにする事で実習でもその人にとってどんなサポートが必要になるのか考えるきっかけになると思います
社会福祉の奥深さを少しでも知ることができ、これからの授業に興味がわいた。
今回は、社会福祉の入門の初回の講義だった。自分は、3年生である程度、社会福祉に対する知識は身について理解しつつある。ならなぜ、「社会福祉の入門」の講義を履修をしたかと言うと、今回の講義で、「社会福祉と聞いて思いつくことを書いてください。」の問いがあったが、改めて聞かれると難しいなと思った。抽象的なことから具体的なこと、専門的なことが幅広く存在するのが、社会福祉というものなので、すぐに答えることが出来なかった。なので、まず初心に帰って、社会福祉とは何なのか、どう言ったものがベースになって専門的な分野、具体的な支援に結びついているのか、改めて確認するべきである。忘れていること、学習出来てないこともあると思う。そして、実習もそのうち行うので、この講義で学んだことを実習に繋げていきたい。
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